日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

まとまりのこと。



写真においてのまとまり感というのは、何なのか?
ずっと疑問だった。

被写体を限定したり、統一したり、そういうわかりやすものはいいが、やってて飽きてしまいそうだし、
いろいろ撮れば、バラバラになりかねないし。

でも実際には、そのどちらのパターンでも作品として成立してる例は多々ある。

結局、作者がこれでいいのだと言ってしまえば、それはそれでよかったりするもの。
とりあえず、手始めに重要なのはタイトルとなるだろう。
そこからまた作品の方向性が決まって来る。

鶏が先か、卵が先か。
写真が先か、言葉が先か。

でも言葉より、写真が先の方がいいぞと、僕は考えているのです。

その辺でフィルムで写真を撮る場合、ネガ現のタイミングは結構重要。

深瀬昌久さんなんかは、100本ぐらい撮りためてから、まとめて現像するというのを、どこかの本で読んだことがある。
で、撮れたものを見て、そこからその方向性を探り当てるらしい。
僕もそれを参考にしている。

でもね、それはホント、根気のいる作業なんだ。
と、今日は、ひとまずこれで、終了。

最後に、今日の「素振り」。