日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

今朝の写真、続き。

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写真は見えるものしか写らないと知っていながら、

何かを表現しようというのは、どこか無理がある。

自分自身を写そうなどという考えは毛頭ない。

なりゆきの流れの中で撮った写真に、

ほんの少しの驚きがあればいいなと思う。

 

不確定なものを紡ぎ出し、何らかの形に整えることは、雲をつかむように難しい。

自分の中の言葉にならない欲求に振り回されるのは、苦しくも楽しくもある。

 

小説家は物語の結末などわからないまま、ただ書き続ける。

書きながら次を見つける。

レイモンド・カーヴァーは、そうエッセイで書いている。

最初から物語の結末など、判っていない。

だけどそこに何かがあるのを、自分自身は知っている。

 

 

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人ゴミを避け、朝の街を徘徊する。

撮っているうちに、また無我夢中になる。

何カット撮ったのかは、調べるのを忘れた。

夜が明けたのは7時頃だったか。

5時半頃から撮り始めた写真は、闇に飲まれた暗いのばかり。

黒い服着た人も犬も、ほとんど見えていない。

この中から一つでも使えるのがあれば、撮ってよかったな、だ。

 

 

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