写真は見えるものしか写らないと知っていながら、
何かを表現しようというのは、どこか無理がある。
自分自身を写そうなどという考えは毛頭ない。
なりゆきの流れの中で撮った写真に、
ほんの少しの驚きがあればいいなと思う。
不確定なものを紡ぎ出し、何らかの形に整えることは、雲をつかむように難しい。
自分の中の言葉にならない欲求に振り回されるのは、苦しくも楽しくもある。
小説家は物語の結末などわからないまま、ただ書き続ける。
書きながら次を見つける。
レイモンド・カーヴァーは、そうエッセイで書いている。
最初から物語の結末など、判っていない。
だけどそこに何かがあるのを、自分自身は知っている。
人ゴミを避け、朝の街を徘徊する。
撮っているうちに、また無我夢中になる。
何カット撮ったのかは、調べるのを忘れた。
夜が明けたのは7時頃だったか。
5時半頃から撮り始めた写真は、闇に飲まれた暗いのばかり。
黒い服着た人も犬も、ほとんど見えていない。
この中から一つでも使えるのがあれば、撮ってよかったな、だ。