趣味は、掃除。 目の前の世界が明るくてきれいだと、それだけで進む方向が変わる気がする。
ビートたけしの師匠の深見千三郎という人は「トイレはきれいにしろ」と教えたらしい。僕の頭にも残っている。
戦争を経験した映画監督が戦争をモチーフにした作品を撮るのか、違うモチーフを撮るのか、それはその作家の本質による。 直接的か否かの選択。
人の心の中にある最初の一歩という無意識の選択は、人生そのものでもある。
日向と日陰のグラデーションのどの辺りに自分は立っているのか。
それは言葉以前の、運命と言えるものかもしれない。
なぜ、黒澤明を始め、小津安二郎や溝口健二が、かつての日本映画の代表的なものになったのか。疑問があった。
70年代から80年代の始め、僕の日本映画の印象は「怖い」だった。
暗かったのである。
ただ、その時代を突き抜けた先に存在した黒澤明の作品は「明るい」場所にいた。
それは物語などの表面的なことではなく、つくり込むことによって得られる存在の明るさ、豊かさだったのではないかと思う。
『用心棒』と『椿三十郎』はその好例だと思う。画面にめっちゃ華がある。「希望」が見える。
そして、自分を省みる。
ただし、今、自分でそれを述べても仕方がないのである。
できたものに何が表されたのか、その結果を見るのが鑑賞という行為であって、表現とは、本人の意思の先にある、わからない何かにたどり着けたその時が、一番の醍醐味だと思う。
いじくり回さない素直な行為というのは、結構むずかしい。
ちなみに「ものづくり」という言葉が、僕は嫌いです。
この言葉の響き、どうもダメなんだ。 前から言葉に出したかった。
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