日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

雨の降る日もあるでのう。

 

 

 目が覚めて今日が休日だと思い出すまでに、しばらく時間がかかった。 

 

 午前4時38分。 少し寝坊したけど、夜明けには間に合う。 京阪電車に乗って「丹波橋」で下車。 しばらく歩いてから撮影を始めると雨が降り出す。 予報より早かった。 歩いていくうちに近鉄電車の高架を見つけ、雨を避けながら撮影を続ける。 青く、どんよりした空。 良い。 仕事が休みの朝は雨だからといって簡単に自分の欲求を引き下げることはできない。 休んだところで気分が澱むだけだから。 カメラが濡らしながら、レンズを拭き拭き、116カット撮ったところで通り過ぎた近鉄「伏見」駅に戻り、電車に乗り込む。 まあ、とりあえず知らない場所にも来れたし、いくらか良い写真も撮れたかもしれない。 

 

 よくやった。 褒めてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 などと、自分を褒めたところで何か変わるでもなし。 ご褒美と言っても、レコード屋さんや本屋さんも今は to much  だし。 それに雨だし。 服も靴も濡れて、今乾かしているし。 あ、こういう時に美味しいご飯を食べればいいのか、と気がつく。 ま、奥さんの都合もあるのだけど。

 

 

 ちょっと前に映画『三島由紀夫 vs 東大全共闘』を見た。 

 二十歳の頃に『仮面の告白』を読んではいたので、映画も参考までのつもりで見たのだけど、講堂の壇上での丁寧な言葉と堂々とした姿を見ていると、文学で自立するには明晰な思考回路が必要なのと同時に、すでに「どうにもならないもの」を知っていながら、そのむなしさを抱えてがんばるしかないことは、才能が有る無しに関わらず、例外はないことを見せつけられる。 誰だって、なんか知らんけど、気がついたらすでに自分がいるのだから、「後戻りもでけへん」ようになっているのだから、それだけはどうにもならない。

 

 ちなみに僕は三島由紀夫が自決した次の日に生まれてます。 同じ頃、『よど号ハイジャック事件』ていうのも起きてたそうです。 

 僕が子供の頃、新聞社に見学に行った母が、兄弟3人・・の僕は真ん中で、それぞれの誕生日に発行された新聞をもらってきたのを読んで知りました。 

 最近になって、新聞社によっては介錯された首が写った写真が掲載されたという話も、身近な人から聞きました。 それは見てみたい。 人間なって死んだらそれで終わりなんだということを目の当たりにするのもいい気がする。 だって、普通の死に方ではないのだから。 生との断絶なのだから。

 

 三島由紀夫という人は、身をもって行動し文章を書く、その際たる人だったのでしょう。  こんな人、なかなかいない。 そんなこともあり、ずっと印象深い人ではあったのです。

 

 

 

 

 


 

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