日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

自由とは不自由なり。

 

 

 

 昨日は勤め先に有給休暇をもらい、今日と明日のもともとの休みを合わせて3連休の真っ最中。 とは言え、「愛と平和の三日間」などという非日常なこともなく、いつも通り僕は午前3時起きで写真を撮るしかないのである。 上の写真は昨日夜明けに撮った写真。

 

 そして午後、うどん屋さんで昼ごはんを食べていると、お店のTVで「安倍元総理が、撃たれた」ニュースを聞く。 店を出てその後、いつもより遠出しての撮影を終え帰宅すると、「安倍元総理、亡くなった」のニュース。 

 やっぱり嫌な出来事が耳に入ると、人は落ち込むもの。 とくに支持しているわけでない僕でさえも、時間が戻せたならなどと考えてしまう。 いつも通りの何でもない日が、最後の日になる。 馬鹿なことは考えずに、まずは働こう。 特別な人間なんて1人もいないのだから。  

 


 

 

 

 

 上は、京阪「中書島」から、近鉄向島」へと歩きながらの撮ったやつ。  

 

 京都市内と違って、道がいりくんでいて方角がわからなくなる。 暑さと迷子に見舞われた割には撮影の成果はなく、対象との接点も見つからず、ほとんど徒労に終わる。 でも大竹伸朗的に言えば、こういうことも作品の密度に繋がって、決して消えたりはしない。 僕の身体を通して、写真の1枚に厚みを与えてくれる・・・はず。 

 どう考えても普通の人にはこんなバカな事はやれないだろう。 好きでやっている自分でさえも、スレスレな気分になる。 昨日1日で、24,779歩を歩き、撮ったのは365カット。 でも、そのほとんどは空振り。

 今日のところは寝るしかないね・・・・。  そして次の日。 つまり今朝のこと。

 

 移動距離を考えず、つまり遠出することを重視せず、比較的近所を細かく歩いてみることにする。 時々引き返してみたり、いつもと反対の路地に入ってみたり、新しい路地に分け入ったりする。 結果、まあ、悪くはない感じ。 11,070歩あるいて、253カット。