日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

今日を生きる。

 

 午前3時すぎに部屋でラジオをつけると、くるりのオールナイトニッポン。  伊豆で新作の録音。 それの映画もやってるらしい。 やってる、やってる〜。

 外はまだ小雨が降っている。

 

 昨日の撮影は頑張ったから、今朝はやる気が出てこない。 それでも後悔したくないという理由と気力だけで、撮影に出かける。

 京阪「出町柳」駅にておにぎりと水で腹ごしらえをしてから電車のシートに座り、行き先を考える。 休日の旅行気分のつもりで、「天保山」を目指すことにする。 

 

 

 

 

 

 

 環状線の「弁天町」で下車し、そこから歩きだすと近隣を表す地図に「市岡」という地名。 そこで市岡高校という名前を思い出す。

 ネットもない時代、高校時代にどこで知ったか記憶にはないが、80年代の頃、映画部があったらしい。 そこ出身の人が大学の同期にいた。

 30年経って市岡という場所がここだったことを知って、不思議な気分になる。  時間の重さとはかなさ、薄っぺらさ。 人一人の一生なんて、こんなものである。
 

 いつも僕は、「犬も歩けば〜」ぐらいの感覚だから、何処かにはたどり着くかは成り行きまかせ。 そんなだから、いつもの通りに方向がわからなくなる。

 

 

 

 

 

 すると河口沿いでは、ベッヒャー夫妻の写真のような風景に出会うのである。 そして、トラックのタイヤの赤色が良かった。 上の荷台の手作り感もいい。 こういう写真は偶然からしか生まれない。

 そうやって歩いているうちに目的は、USJ を対岸から見てみようというものになった。 そして通りの向こう、USJ のホテルたちは背の高い河口の堤防沿いから頭をのぞかせているのに、その手前には関係者以外立ち入り禁止の敷地が続き、僕は対岸の風景を望むことが出来ない。

 

 歩いているうちに、天保山にたどり着いた。 ていうか、そこにたどり着くまで対岸の風景を望むことはできなかったのである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天保山公園。

 ここは20代の頃に来た場所。 自分の短編映画を作るために、ロケハンらしきことで足を運んだことがある。 結局この場所で本編の撮影は、したのか、しなかったのか、記憶がほとんどない。 映画はちゃんと完成した。

 

 とりあえず今日思ったことは、目的による視点の変化は見るものの記憶を変えてしまうということかしら。 人は皆、今を生きている。 映画製作のためと、写真作品の撮影では、行動のプロセスと思考が変わる。

 眼は同じものを見ていても、自らの脳に入ってくるその「味わい」は、まったく異なるのである。

 

 しかし、僕がやっていることの種類は昔と全然変わらない。 自覚はしているが、それはなんとも言えない気分。 なんだか、甘く切ない。

 

 そして今日撮った写真には、対岸に辛うじて見えるジェットコースターのレール。 USJ の全貌は手前にそびえるホテルに阻まれて、今日の撮影は終幕を迎えるのだった。