日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

ふらふら生きている。

 

 今日は休日。 自由の身。

 

 今朝のこと。 陽が昇るまでにまだ時間があったので、「お稲荷さん」でお賽銭を入れ、手を合わせる。 その後は西に向かって歩いた。 どこに行っても歩いたところにぶつかるので、立ち止まっては、前と違う方向の道を選んで歩き、写真を撮った。  

 

 5月の個展のために、そろそろ今シリーズの撮影の区切りをつけないとと考えてはいるのだけど・・・・(今撮っているのは「5月の」には使いません!と自分に決心させればいいだけの話なのだが)・・・・一度写真を撮り始めると、さほどこれまでと内容は変わらないし、結局夢中にもなって、今朝撮った写真も使いたくなりそうな感じ。 

 なら、撮らなけりゃいいじゃん、いやいや、休日の大事な1日を無為な時間として消化してしまうのもやりきれないのよ、っていう・・・・いつから自分は、こんな忙し無い人間になったのだろう。    

 ♪ 誰のせい? それはあれだ のせい ♪

 

 

 

 

 

  それはともかく、今朝は寒かった。 駐車場に並ぶ車の顔と頭は、真っ白。 公衆電話も凍えている。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日前、YouTubeにて ラジオ番組で三宅裕司が亡くなった高橋幸宏のことを話している 動画を見た。 その動画の言葉を歩きながら思い出す。 

 

 人と快く付き合える人は幸せだ。 でも上手く馴染めない人だっている。 それを思う時、僕は決まって『日本の人』という歌を思い出して、自分を慰める。 人との関わり方、そこにも才能の有る無しが存在する。

 

 そしてまた話は変わって、ここ数日の僕は、故・大滝詠一のアルバム『アーリー大滝詠一』 を聴き、Youtubeでは『新春放談 2002年1月13日』 を聴いて過ごしている。 後者の方、長く続いたこの対談はどの回も面白いのだが、この2013年1月13日の放送分は、僕の心に残っている好きな回。 歌は歌なんだ、という言葉がとても惹かれる。

 

 大滝詠一という人の面白みはどこから来るのか。 勝手なのは十分承知しているが、正直に言って僕は、この大滝詠一の人生を羨ましく思っている。 そしてたぶん、そういう人は多いんじゃないかと思う。 何が羨ましいのか、それは言い方が難しい。 適度な隠遁生活とでもいうのか、なんというか、ムニャムニャムニャ・・・。

 まあ、だけども、作った音楽の良さと息の長さを思えば、それはあれだ 天性のものなんだろうし、僕がそれをどう考えようが、それはそれぞれのことで、どうにもなるものでもない。 

 

 まあ・・・、生きるというのはそんな簡単なものではない・・・ですな。

 

 

 今朝撮った下の写真、路地の奥には散歩から帰ってきた「犬」が写っている。 この犬は以前に撮った犬じゃないかと思う。 

 

 

 犬種は僕にはわからないが、たぶん下の写真のこのワンワンさん。 2021年4月25日の撮影。 前回の個展『name is kyoto』でもこの写真は展示した。

 お年寄りなのかもしれないけど、元気みたい。 あの時は写ってくれて、ありがとう。