日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

勇気。

 

 

 今朝も大阪へ。

 

 午前5時発の始発電車に乗っても、大阪の淀屋橋に到着する頃には、夜明けの街の姿はすでに影も形も無くなっている。 そりゃ、そうだ。 電車に乗る時点で、すでに辺りは明るいんだから。 

 

 故に、これまで僕が京都で撮ってきた、夜が明ける最中の「青い風景」の陰影を撮ることは、大阪の地では叶わない。 だからと言って冬が来るのを待つことも、何だか馬鹿馬鹿しい。

 じゃあ、何を撮るのか? 心定まらず、そんな意味合いにおいても、手応えを感じられる写真はなかなか撮れなかったりする。

 

 今日は592という数の写真を撮ったが、唖然とするほどに、その上りは満足いくようなものではなく、これは先の長い作業になることを覚悟せねばならないと、また実感することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、こうしてupしてみると、案外マシかもしれないと、少し安心する。

 

 一度に集中して写真を撮れる時間は3時時間ぐらい。 いっぺんに撮り過ぎても、実際の展覧会には10枚と使わない。 あって5枚くらい。 時間の重なりと厚みがシリーズにあらわれてこないと駄目なんじゃないかという思い込みが僕の中にある。 その写真の1枚の前後までが不本意にバレてしまわないように、切り捨てるとこはバッサリと切り捨てたい。

 

 そして、今朝嬉しかったのが、下の1枚。

 

 

 

 

 遠くのアパートを眺めて歩いていると、男の子の顔の輪郭らしき肌色が僕の目に映った。 おっと思って少し引き返しとっさにカメラを構えると、「ピース」の返事。 すぐにシャッターを切る。 その1枚が、上の写真。  

 撮った後、手を振ると、向こうも手を振って返してきた。 キュンとした。  

 

 どんな男の子だろう? 何をしていて、何で外を見ていたのだろう? 何となく大丈夫かな? とも心配したりもした。 

 でも少なくとも、僕は嬉しかった。 僕の中に勇気を生んでくれた。 ありがとう。 写真はこれから大事に使わせてもらいます。 

 

 

 明日は、京都を撮ろうか、また大阪か、まだ決めてないけど、そういう考えが頭に浮かんでしまった以上、僕は、絶対に写真を撮らなければ気が済まないのである。