日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

「新しい」なんて、もはや。

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 昨日は有給休暇をもらい、夫婦二人でユザーンのライブに行った。

 家から近所の左京区百万遍知恩寺にて。 ライブの内容は、タブラが主役になった古今東西インド音楽を演奏するというもの。 そういう内容のライブは約10年ぶりだとユザーンは言っておられた。 

 僕はと言えば、ユザーンの生の姿と演奏を聴きながら原神玲のことを思い出し、自分の不甲斐なさに半分落ち込む。 

 でも生の演奏を聴くというのは良いもので、純粋なインドの音楽に触れる機会は人生初。 タブラを叩いて生きているユザーンは、やはりカッコよい。 

 あと、彼らの演奏の前のシタール奏者の方の演奏も、力強くてよかった。 歌はないけど、インドのフォークミュージックみたいな印象だった。

 

 

 で、ライブは午後3時から開演だったので、昨日と今日の夜明け時には、僕はいつも通りに大阪に行って作品の撮影をした。 

 両日ともJR天王寺駅前からのスタート。

 天王寺駅は丘の上に建っているので、駅前からの眺望は良い。 とくに2日間とも晴天だったので夜明けの時間の光と色は素晴らしく、日が昇る時間が遅くなったことで京都から電車に乗ってもギリギリ夜明けに間に合う季節が到来したのを嬉しく思った。 

 

 昨日の通天閣

 そして今朝の通天閣。 撮影場所を変えてみる。 

 

 昨日は撮っているうちに気持ちがとくに高揚し、道頓堀辺りでは「攻め」で写真を撮った。 大阪の街の多層さを写し撮れるように、いろいろ試しているのである。

 以前にも書いたが、今回のシリーズタイトルを『 new world 』と、僕は決めている。 それは大阪の有名な『新世界』という街の名をきっかけに名付けているのだが、いつも自分の意識の中で問題となっているのは、この「新」という部分である。 

 

 で、今日思ったこと。 ていうか、自分の中にいつもあることに気がついたのだが、「新しい」という言葉は良い意味だけとは限らないということである。

 

 

 「新しい」とはその状況のことであって、その実は「良し悪し」両面の方向を持ち合わせている。

 大阪の街の『新世界』は名前であるから、古新しいみたいな感じのノスタルジーでそれはそれでよいのだが、僕の探す『 new world 』は大阪の街を写真のモチーフとしていながらも、まずは一つの疑問なのだと思う。 そして答えは無い・・・・それが、現況である。 

 いつまでも「大阪」が「大阪」でいられるように、「日本」が「日本」でいられるように・・・などと言葉にしてしまうと、悲観的な未来への不安も自分の中に立ち上がってくる。 

 いや、あまりに人類にとって悪いニュースが多いから。

 

 

 本日upした写真のほとんどは昨日撮ったもので、今朝の自分の心境はと言えば、写真的欲求がボツボツといった感じしか起こらなかったので、撮った数は200とちょっと。 いつもの半分くらい。

 最初の通天閣を撮ったところで、目的を終えてしまった気もする。 ま、内容的には悪くなかったのだけど。 

 またこれから1週間、ひたすら編集作業をやります。