日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

京都に帰っても、その2。

 

 

 


 昨日の夜は眠過ぎて、更新を途中でやめにしました。 その続きです。

 

 大阪で写真を撮って、帰ってきた京都でまた写真を撮って、いったい何をやっているのか、不思議な気分。 

 熱にうなされながら、この日は479枚の写真を撮った。 最近の自分にとっては決して多くはない量だけど、それでもどうかしている。 どうかしているけど、やめる気もない。 だって現代人は皆、どうかしているんだもの。

 毎日働いていても、「今自分は、何をやっているんだっけ?」って思いませんか? それが世の中だからという理由だけで毎日やり過ごしているけど、その常識だけを信じ込んでいることの方が、よほど怖い気がしませんか?

 

 写真を撮るということは、自分は疑いの視点を持っています、ということの表明でもある。 少なくとも僕は、人間の存在自体を疑っているところがあるし、同時に写真も疑っている。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてもちろん、自分自身も疑っている。 どうかしているんだもの。  

 

 写真家を職業として、カッコよく捉えている人もいるのだろうが、どうかしているという前提を抱えてない人の撮る写真は、やっぱりつまらない。 それは確実に写真に写る。

 

 やっぱり、自分の中に矛盾がないと。 その矛盾は、お金では誤魔化せない。

 

 この先、自分には何か見つけることができるだろうか? まったく、わからん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後、上の9枚の写真は大阪と京都を交互に混ぜてみました。 大阪から始まっています。