3月3日以来、久しぶりの大阪。
今朝は、
午前6時半にJR天王寺駅付近から写真を撮りはじめる。
新作の個展が終わっての僕はすっからかん・・・なんてことはなく、
次に出す札も、すでに隠し持っている。
これからは、
「それ」に深みを加える作業をしていく。
予期せぬものの力を
シリーズの味に加えていく。
だけども今現在
ふと気を抜くと、
心が沈んでいる自分に気がつく。
何でだろう?
悪い考えばかりが浮上してくる。
去年の今頃の自分はどんなんだったっけ?
そんな波が来てたっけ?
写真家としての歳を重ねるたびに
言い知れぬ不満は不安となり、
根拠不明な闇が、
気づかない間に大きくなっている。
だが、そんな不安は振り払って、
今朝も次に撮るであろう
「写真」を探して、
僕は軽やかに歩くべきなのだ。
で、撮った写真は、450枚。
ひたすら歩いた。
22,721歩。
心斎橋を過ぎてからは、
シャッターを押す指はピクリとも動かない。
陽が変わり、お腹も空いて、
久しぶりで
足が棒になった。
車に乗って、
どこかに出かけて、
美味しいご飯を食べて、遊んで、
そんなことができる時間が1日でもあれば、
どんなにいいだろうと思う。
しかし、
お金の余裕もあまり無く、
遠くや、近くの様々な出来事に思いを巡らすたびに
言い知れぬ大きなが重圧と悔しさが
頭の上にのし掛かる。
あ、
次にやろうとしている作品は、
その遠くと近くを一つの場所に集めてみようという、
そんな感じのこと。
僕がやっているのは、
写真という存在が
この世に生まれ持ってきた特質を駆使して
この世界とは何か?
その疑問にカメラを使って探して歩く
そういうこと。
別に答えを求めているわけではない。
探すこと自体が、すでに答えだという気がしている。
だって、その行為自体、
それが人間だと思うのだから。
あとは、具にも付かない
やるせない毎日を過ごしていくだけなのさ。
今日の自分の写真の定義としては
そんな言い表し方になった。
しばらくは、大竹伸朗と都築響一の YouTube のお世話になる日々が続く。
元気を出せ。