日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

何とかする。





遠くの眺めより、さらにもう一段、ぐっと近寄ってみる。
さっきまで見えてなかったものが、見えることに気づく。

全体が一部に、一部が細部に。
その切り取られたものが、今の自分の見ている、すべてになる。

フレームの中への親しみ、もう自分がいる場所が何処かという意識は消え失せる。

そこは、京都市内から離れた町。それなりに電車代もかかっている。
でも、その意識がない。
そんなだから、カードの残高不足で改札にひっかかってしまうのである。
390円不足、そんなこと初めて。

行った先に何かあるとか、そんな保証はないけど、行ってしまえば何かは見つかる。
行ったからには、何とかしようと知恵をしぼる。
その感覚は、なかなか良い。




わざと、縦位置の撮り方を選んでいる。先週と、そして今朝。
今朝は近所で。夜明けとともに、起床する。午前4時。

薄暗い町。何だか良く写る。自分なりの方法を見つけた気がする。
実際、どんなプリントになるのかは、判らないが。

ともかく、近所を、遠くでもなく近くでもなく、何処でもない写真にすることを目指す。
タイミングが変われば、それは新たな眺めになる。

他所で起こっている写真など、今はどうでもよい。