日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

なんて自由な世界。














 歩きながらの缶ビールの最後は、味がしない。何で、こんなもの飲み始めたのかと思う。
蔦屋書店で佐内正史の『度九層』という写真集を買って帰ってきた。今はデジカメの電池もなくなり、ただ歩いているだけ。それでも幾らかの発見はあった。人に話すほどの発見ではないけど。
 写真の発見、風景の発見は、写真でしか伝わらないので、言葉で言えるものではない。RCサクセションの『空がまた暗くなる』のよう。「知ってることが 誰にも言えないことばかりじゃあ 空がまた暗くなる」という部分。清志郎はなぜ、あの歌詞を書いたのか、ずっと気にかかってる。不思議なんだ。ずっと。

 ずっと不自由をしてる、自分自身。自らを縛り付けてる。何でなのか。次から次から材料を見つけては、悩んでるのだ、馬鹿みたいに。無駄なのに。それがわかっていても、繰り返している。ずっと暗い気持ち。見れば、空はこんなに晴れてるのに。
 そんな具合で、休みの日ぐらいは解放されようと、ただボンヤリ路地を歩いている。まるで退屈な人間だ。それは否定はしない。