日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

そのうち良いのが。

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良い写真というのは、なかなか出てこない。

偶然天才的に撮れた1枚と、凡庸に撮った100枚の中から選んだ1枚とでは、凡庸に撮った100枚からの1枚の方が強い写真だというホンマタカシの言葉を、いつも僕は思い出す。 

  

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自分が撮った写真には当然見慣れたものと見飽きたものが同居していて、そのせめぎ合いの中で思いもしなかった「何か」が見つかることは、そう多くはない。

ま、他人様の評価は関係なく、自分の中でだけの話だけど。

 

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休日は億劫なこともあるけど、大概は外に出る。

とりわけ夜明けの時間に歩くのは、もう義務のように習慣づいてしまった。

 

そして毎回、何かはある。なかったかのように見えて、何かあったりする。

ひたすら数が増え続ける中で、今日のそれが埋もれずに後々残るものなのかどうかはわからないけど。

 

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歩いていると、いつも見ているものが何だか違って見える。

その「見えた」という瞬間に写真を撮るのは、気持ちがいい。

そしてそれは時間が止まらない限り、いつまでたっても終わらないし、キリがない。

疲れるまでやっている。ほとんど病気だ。偏っている。

そんな時、昭和のTV番組『カックラキン大放送』での研ナオコ野口五郎の、「死ぬまでやってろ」というコント終わりのツッコミが、僕の頭の中でふと蘇るのです。

 

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