日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

稲川怪談。

 

今朝は13,200歩で143カット撮る。歩いた割には、だいぶ少なめ。

 

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YouTube稲川淳二の怪談を、ほぼ毎日聞いる。

小学生だった昭和のお昼のワイドショーの頃から好きでたまらない。

有名な朝日放送の「プラスα」の「生き人形」の回は見てないのだけど、その後日談の回は見た記憶がある。確かそういう回があった。だからTVに写った男の子の幽霊は僕は見ていない。

二十歳の頃の関西テレビ『百物語』も毎回楽しみにしていた。最終回は「生き人形」の話だった。

 

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しかし何故こんなに稲川淳二の怪談に惹かれるのか。

理屈抜きに好きなのだけど、あえて無理に大袈裟に言えば「人間という生き物」を違う側面が見ることができるからかもしれない。

「心」あるが故の遺恨、それが現実の日常も歪めてしまうほどの力になってしまうのが凄いなと感心してしまうのだ。もちろん、負のエネルギーだけが霊魂ではないと稲川氏も言っている。それがさらに人の心とは何なのか? という感じにさせてくれる。

どこまでが感情でどこまでが本能なのか、なぜ心が生まれたのか、それは今僕が漠然と思い考えていることでもある。

 

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何度も聞いていると一つの話もその時の状況で話し方が違ってくるのが興味深い。

この前聞いた「ニッポン放送」の旧社屋の話はいくつかの話が繋がってて、それがよかった。

「生き人形」の話も「ニッポン放送」の南こうせつの話から始まる。

でもそれも偶然そのパターンを僕は聞いただけで、たぶん省略されることの方が多いだろうと思う。そして「生き人形」と稲川淳二氏との関係は、今現在も続いているらしい。

周りの人々は怪我したり亡くなったりしている場合もある中で、稲川氏の存在は相当な関係性を持っているだろうと僕自身も予想していたが、やっぱり何かあるらしい。

そのあたりのことをいずれ話すつもりだとYouTubeチャンネルで予告されていた。

人生そのものになっている。

 

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