日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

初音怪談とダイアン・アーバス 。

 

 

 昨日の夜、家に帰って午後7時。 飛行機のエンジン音が、上空を通り過ぎていくのが聞こえる。 いくぶん秋も深まり空気は澄んできたのか一人浴槽のお湯の中にいると、エンジンの音は普段より大きく聞こえて、そのまま風呂場にいる自分のところに飛行機が墜落してくることを想像をする。 一巻の終わり。 

 ウソでも一瞬ドキドキしながら、まあ、それならそれもいいか、とも思う。 なりゆき任せの投げやり気分。 

 

 秋に入って僕の中で YouTube で聴く怪談熱が盛り上がり始め、今週は松嶋初音の怪談を聴いてみた。 島田秀平のこの動画に出てる他3人の怪談はとばし、松嶋初音の話『夜中の2時 トイレに行かないで』だけを聴く。 なんか以前からこの人のことは気になっていたのだけど、何きっかけで意識し始めたのかは覚えてない。  

 

 聴いてみた感想は、

これが不思議な話で、しかもホントに怖くて、面白い。 他では聞いたことのないような印象の話。 一変に惹きつけられ、他にupされた動画も、自分の周りに空気が篭(こも)らないようように時間を置きながら、今もちょっとずつ聴いてます。 空気が篭らないよう意識するのは、動画の中の空気がホントにうっすら危険な感じで、ヤバそうだからなのです。 彼女も踊ったりしながら、見てる人も空気を動かして、と動画の中で注意を呼びかけてます。

 

 中でも僕が、一番ヤバそうに感じるのが、

動画の中で彼女が実際に見た霊の動作や表情を演技して見せると、その時の霊が憑依しているかのように僕にはダブって見える一瞬があって、瞬間、本物の霊を見てしまったようにゾッとします。 

 動画の中で彼女の生まれ持った境遇を聞いていくと、そんなことが起きても不思議じゃなさそうな感じだし、仕事として怖がらせようとする人とは違って、本人は笑ってはいてても、実際はとても大変そうな印象を受けます。

 

 

 怪談界のパイオニア稲川淳二は「男」、松嶋初音は「女」。 たぶん、性別の違いは霊に対する感じ方や伝え方に強く影響している気がします。 初音怪談は語り口が上手いとか下手だとか以前に、生きた血と肉を持ってる気がします。

 

 

 

 

 今朝も僕は撮影しながらその辺りのことをボンヤリ考えていると、ふと写真家ダイアン・アーバスの存在を思い出しました。 

 女の人が持っている写真の中に現れる生理、それはアラーキーが伊藤俊治との対談の中で話されていましたが、霊的なものに対する感覚は、表現・創造することと同じく、男と女では違う気がします。 もちろん個体としての違いを踏まえた上での話ですが。

 

 たいした理屈もなく、直感だけを言葉にしてみると、

霊的な感受性と、創作・創造することは、どちらも自分の肉体(思考を含む)を使って表す以外の「見えない何か」と関係しているように思います。 その人が抱えている、その人にしかできない何かが、それに対する反応や動作の中に直感的に現されているように思います。

 

 たぶん、いや、当たり前に、どこまでも否定できない人間の感受性を素直に受け止めて、無理せずにリラックスして生きていけないものか・・・僕はそんなことばかり考えています。 現実が面倒くさいのです。 そんな感じで、少々、落胆する毎日なのです。 

 

 ただし、今朝はできるだけ頭を空っぽにして、がんばりました。 撮った写真は、359カット。 13,209歩を歩きました。 歩いた先で朝食用に買ったパンも美味しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、第二の青春!!

 

 

 

 

 そして、今朝の京都タワーは、こんなでした。

 

 ちなみに、僕の写真集は shop または、VOICE  GALLERY  Shop  あるいは、修美社 shop そして、ホホホ座浄土寺店 店頭にて、販売しております。

どちらからでも、どうぞ。