夜中に目が覚めて眠れない時は、いろいろ考える。
考えるが、この場でそれを文章にしようとすると、至難の技になる。簡単ではない。
それに時間と思考を費やしてやるほど、大したものにはならないだろうし。
評論というものに大した意味を感じない。
所詮、他人のことだもの。他人のことを自分のことにはならない。
ただ良い作家の姿勢は勉強にはなると思うし、自分の表現において力にもなってくれる。
今日は気持ちが浮いたり沈んだり、いろいろあって忙しかったし、時間が長く感じた。
夜明けの撮影は、昨日のことのように感じる。
夜明けと午後とで、同じ道を2回歩いた。
2回目の午後は歩いたついでに、いつものお稲荷さんに、お賽銭をして手を合わせた。
普段歩くときも、神社やおじ蔵さんに気がつけば、必ず挨拶をする。
声を出したり、手を合わすまでやっていると実際キリがないから、心の中でだけにしているが。
そうすれば、その町に、通りに受け入れられそうな気がするし、自分の気持ちが良いことも確かだ。悪い目にあったことはまず無い。