写真の展覧会をやりたいようにやったのだけど、
終わってしまった後ともなれば、自分の部屋が帰ってきた作品で埋めつくされる。
現在、僕の部屋はこのままではどうにもならんという状態なので、スチール棚を手に入れた。
これで再始動できる、かなぁ。
作品の保管。 「作家蔵」というヤツ? 作品の飽和状態の始まり。
それが、とうとう僕の人生にもやってきた。
自分の撒いたタネが、その後の自らの首を締めるのである。
他人の作ったものを集めて好きだと言っている分には、まあ幸せだが、好きだとも嫌いだとも単純には言えない自分自身の抜け殻、または自分の一部であり分身、または断片を自分で抱え込んで生きていくなんて、これは一体何なのだろう?
業、ですな。たぶん。
人は誰しも何かに縛られて生きている。
それが自分の意思からくることならば、まだマシな方なのかもしれない。 いや、違う。 他にもあった上での「これ」だった。
部屋の整理、模様替えする際には、他所さんの部屋が写った本や雑誌を見て、やる気を高める。
昨日からは、ベッヒャー夫妻のアトリエをMatthias Schallerという人が撮影した写真集『The Mill』を眺めている。
こういう部屋の写真は、都築響一の『TOKYO STYLE』から始まり、『賃貸宇宙』、そしてブルータスの『居住なんちゃら?』(タイトルを憶える気がない)という号も毎号、その他にもいろいろ、手に入れてしまう。
アトリエが写った写真などは、特に惹かれる。
セザンヌみたく、来る日も来る日もアトリエで過ごして、自然を感じながら制作に没頭できたなら・・・楽ではないだろうが、生きる甲斐はあるだろうな、と思ったりする。
没頭する人生。
やりたいことを、やりたいようにやればいい。