日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

やりたいことを、やりたいようにやればいい。

写真の展覧会をやりたいようにやったのだけど、

終わってしまった後ともなれば、自分の部屋が帰ってきた作品で埋めつくされる。

現在、僕の部屋はこのままではどうにもならんという状態なので、スチール棚を手に入れた。

これで再始動できる、かなぁ。

 

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作品の保管。 「作家蔵」というヤツ? 作品の飽和状態の始まり。

それが、とうとう僕の人生にもやってきた。

自分の撒いたタネが、その後の自らの首を締めるのである。

他人の作ったものを集めて好きだと言っている分には、まあ幸せだが、好きだとも嫌いだとも単純には言えない自分自身の抜け殻、または自分の一部であり分身、または断片を自分で抱え込んで生きていくなんて、これは一体何なのだろう?

業、ですな。たぶん。

人は誰しも何かに縛られて生きている。 

それが自分の意思からくることならば、まだマシな方なのかもしれない。 いや、違う。 他にもあった上での「これ」だった。

 

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部屋の整理、模様替えする際には、他所さんの部屋が写った本や雑誌を見て、やる気を高める。 

昨日からは、ベッヒャー夫妻のアトリエをMatthias Schallerという人が撮影した写真集『The Mill』を眺めている。

こういう部屋の写真は、都築響一の『TOKYO STYLE』から始まり、『賃貸宇宙』、そしてブルータスの『居住なんちゃら?』(タイトルを憶える気がない)という号も毎号、その他にもいろいろ、手に入れてしまう。

アトリエが写った写真などは、特に惹かれる。

鈴木理策の『アトリエのセザンヌ』も、そのうちの一冊。

セザンヌみたく、来る日も来る日もアトリエで過ごして、自然を感じながら制作に没頭できたなら・・・楽ではないだろうが、生きる甲斐はあるだろうな、と思ったりする。

没頭する人生。

 

やりたいことを、やりたいようにやればいい。

 

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