日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

私の戦争と平和。

 今朝はJR大阪駅という「ド真ん中」から歩き始めたにもかかわらず、なぜか郊外っぽい風景の中をたどることになった。

 とくに狙ったわけではない。 でも・・・今日は自分の中にぼんやりとした目的があって、普段とは逆方向を歩いたりしたことで、道に迷った結果がそうなったのだ。 あえてスマホで調べることもせず、太陽の位置から東西南北を見て、行き当たりばったりの適当にまかせた。

 上の最後の写真は、淀川の橋のたもとで見つけた明倫観世音菩薩像。

 

 たぶん終戦間際の昭和20年のことだと思うが、空襲を逃れてこの河川敷にたどり着いた近隣の住民を、さらに敵の機銃掃射が襲い、この場所で出た多くの犠牲者を供養するための菩薩様だと書かれてあった。

 昨日、録画してあったNHKのドキュメンタリー『戦場のジーニャ』の映像を見たところだったので、機銃掃射という文字からの恐怖が生々しく感じられた。

 ただし、番組はまだ一部しか見ていない。 

 その入り口ですでに感じる恐怖とやるせなさ・・・・だけど、ここは日本・・・と言っても同じ地球の上・・・いやいやいや、明日の仕事のこと・・・それに、やりたい事とやらなければいけない事・・・意識と力の配分すら、わからない、見当さえつかないという、この感じ。

 映像に写っているような、こんな虚しくて残酷なことを回避することもできず、一度起きてしまった嵐を鎮めることもできず、死ねば何も言えない。 生きても苦しむ。

 

 自然界の他の存在と違って人間の存在というのは、なんて生やさしいのかと思ったりもする。 犠牲を何かの形で謳わなければ、無になることもできない。 何て面倒な生き物なんだろうと思う。

 死は仕方ないが、生きているうちは不幸からは逃れたい。 あと、子供をそんな目に合わせたくはない。 お願い!

 その後、今日のうっすら目的を実行する。 上は、羽鳥善一の仕事部屋のピアノ。

 連ドラ『ブギウギ』のセット公開。 見にいっちゃいました。 
 

 昨年5月から大阪で写真を撮っていたら阪神タイガースが38年ぶりに優勝して、いつもとは違う今しか見れない風景を撮ることができて、ラッキーな気がしてたのです。 

 その気持ちにかぶせて、せっかく大阪に通っているのだから、いま好きで見てる連ドラのセットだって見れるものなら見ておこうと、今日、NHK大阪放送局に行ったわけなのです。

 

 一部以外は撮影がOKだったので、ミーハーよろしく、普段の撮影と同じカメラで、ドラマ収録に使われたセットを撮ってきました。 

 個人的には最初に見た羽鳥善一の作曲部屋が、僕にとっての一番でした。 

 

 下は、「はな湯」のセットで撮った写真。 この女の子と僕は何の関係もありません。 なので、半分顔が隠れている写真の方を選んでます。 

 僕の現在公開中の作品展は3月31日まで。 よかったら見てください。