日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

『horizon horizon horizon』写真展と写真集のお知らせ、そして今朝の写真。

宣伝事項です。

 

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KYOTOGRAPHIE2021

が、9/17から始まっております。1ヶ月間、京都市の各所で展覧会が行われる大きなイベントです。

その一環として、今年は私も個展にて参加します。

タイトルは『horizon horizon horizon』で、期間は、10/6~10/17の2週間です。

ギャラリーの一ヶ月のスケジュールの後半に開催します。

今現在は、西村勇人氏の『Mounds が開催中です。私はその後の期間を担当します。

 

ヴォイス・ギャラリーは、老舗ライブハウス『磔磔』を数十メートル南に下がると、左手にあります。ぜひともお越しください。

 

 

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写真展の内容を、あらためてお知らせします。

 

個展としては、14~5年ぶりになります。

過去に行った展覧会よりも作品の点数は多く、40点以上の写真を展示します。

 

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タイトル作品の『horizon horizon horizon』は、まだ薄暗い夜明けの時間に撮影した写真で構成したシリーズであり、それに加えて、今現在も同様の方法で「京都」を撮影しているシリーズ『name is Kyoto』からの一部を合わせて展示します。

 

また、個展タイトルの『horizon horizon horizon』の写真集も作りました。

現在、 KG+SQUARE(七条烏丸西入ル、京都中央信用金庫 旧・厚生センター)にて、取り扱っています。

 

写真集の表紙は、真っ白の気泡紙という紙の、左寄り中央に青いラインが入り、透明の箔によってタイトルと作者名が印字されています。

一見、何かわからないけど・・・よく見ると!っていう感じになってます。

 

 

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上は製本前の平らなままの表紙を撮影したものです。

タテのタイトル文字の部分が、背表紙になります。

サイズは、240mm×190mm×5mm

本文は、50ページ。

写真は、31点収録しています。

 

価格は、¥2,860(税込み) です。限定150部で、作者サインとナンバーが入ります。

展覧会の期間中は、ギャラリーの方でも取り扱いします。

 

展覧会の展示と写真集は、作品の内容を意図して、それぞれに合わせたカタチにまとめているので、内容が少し異なります。

ですので、皆様には展示と出版の両方をご覧いただけることを、作者としては、心から望んでいます。

是非ともご覧いただくよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 

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今朝は天気が悪かったので、撮影は休み。

以下は、9月23日撮影分。

 

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清水寺界隈から祇園

京都らしい場所はあまり縁がなかったけど、朝なら写真だって撮ることができる。

お土産屋さんの街が、ウォーカー・エバンズの撮った家並みのように見えたりする。

暗く撮れば、「意味ありげ」なだけなのだろうか。

昼間の日常の当たり前が取り除かれて、目の前に在るものだけが写る。そういう気がしている。

 

 

 長く京都で暮らしていながら、京都を写真の対象にすることは、これまでなかった。

それは、すでに京都という場所のイメージは写真としても確立されており、そのイメージに沿って自分自身も写真を撮る必要があるとは思えなかったからである。

 

 時がたち、『horizon horizon horizon』で夜明けの時間の撮影を経て、その延長として京都の街を具体として撮り始めると、これまでの京都のイメージに縛られずに、淡々とあるがままに「街」そのものを写真にすることができるようになったのである。 

 言い換えると、世間一般に存在する京都というイメージの看板を自分の中から取り払い、夜明けの光の下、個々の風景を一つづつ写真にしていく。そうして浮かび上がってきた街に再び「kyoto」と名付ける。そういう作業だと思う。これは自分の中で、1つの発見だった。

 

 現在も撮影は継続中だが、私はこの写真をトポグラフィクスの一環として存在するものだと捉えている。

 

 

上は、今度の個展で作品を一部展示する、シリーズ『name is kyoto』の前書きです。