日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

歳を重ねれば。

 

 午前3時ごろに布団から出て部屋に入り、出かける時間まで、個展の準備作業の続きをやっていると、途中で止めることができなくなった。 よって大阪での撮影は、今朝はやめにする。

 そんなわけで準備の方は、はかどった。 幾らかの課題も見えたし、搬入も少し楽にできそうだし。 何せ、前回の個展の展示が大変だったものだから ⤵︎

 次回の搬入は、できるだけ楽したい。 おんなじことをやるのも嫌だしね。 少し点数を削ぎ落として、「間」を活かす展示を目指している。 

 毎回、会期中は落ち込んだりしないで、気持ち良く在廊できることを願っている。 展覧会の最中に自信を無くすと、自分自身がいたたまれなくなるものだから。 

 

 調子に乗るのもみっともないが、明るい気持ちを維持するのは大変なんだ、結構。 

 午後、散歩ついでに一乗寺恵文社に行ってみる。

 このお店は、写真集に限って言えば、在庫がそれほど多いというわけではないのだけど、時々、他所では見ないようなのを置いてたりする。 

 僕は、海外の写真集が好きなものだから、近くの書店でそれが置いてあるというのは、さすが京都という感じがしてありがたい。 店内が雰囲気ありすぎて、少し退いたりもするけどね。

 

 ま、今日に限らず、僕はいつだってお金がないものだから、衝動買いというのは近頃控えていて、今日も見るだけで何も買わずに、お店を後にした。 老眼もあって、寝る前に本を読む習慣も無くなったし。 冷やかしですみません。

 

 あ! でも店内で本を開いた瞬間に、ちょっとした考えが閃いたりもしたので、行った甲斐はあった。 お店を出た後、写真も少し撮れたし。 

 ああ、しかし。

 今日のような平和な日常、心地よい暮らし、そんなのを写真に撮ろう・・・・・・などという考えが、何時からか僕の中には無くなった。

 

 そういう類の「緩さ」は、僕の中でしっくりとこなくなっている。 5月に開催する新作の個展にの作品のセレクトからも、そういう写真は除外しているし、そんな視点に立つようになって、随分と時間が経つ。 

 

 別に意地悪をするつもりはないけども、目の前の空気の「それ」だけでは済まされない方向に僕の意識は向いているので、ていうか、現実世界がそうなので、お気楽にはいられないのである。 むしろ、絶望的ですらある。

 

 やはり写真を撮る以前に、人間と世界のなかで起きる様々なことに、自身の意識も考えざるをえなくなるのだ。 

 小津安二郎の映画は、単なるホームドラマではないと、いうように。

 3月31日まで、僕の作品の展示やってます。 良かったら見てね。