日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

般若心経の年ごろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 具体的な予定はほとんど決めないまま、今日も今日とて写真を撮りに出かけるのは、自分がやられてしまわないように、自らの意思を具体的な行動をもって形に現さなければいけないから。 

 なんか、やられてしまいそうなんだよね。 そんな状態。 怒りとは違うけど、一発逆転みたいな、そんなことを望んでいる。 それは理想だけどね。 悶々としている。 ため息も多い。

 

 昨日から脳みその中がガチャガチャとうるさくて、今朝は出かける時間まで、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)著『現代語訳 般若心経』(ちくま新書)のページをめくり、YouTube を再生しながら、般若心経をボソボソと読んでいた。 

 

 本は一度だけ通読してはいるが、おおよそぼんやりの理解で、それは意識の中で風化こそすれど、ニュートラルな意思への導きなら、もうこれしかないね、という思いつき。 本棚をボンヤリ眺めてたら目に止まったことから始まり、そして瞑想。 

これから習慣化するとかしないとか、目標など決めなくともただ続けていれば、少しは自らの心の持って行き方が変わるかもね、という具体的かつ唯一の対処法。

 

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 今朝は京阪・出町柳駅には向かわずに、北西方向に歩き出す。 とりあえず、歩いてて面倒臭さがない。 正解らしい。 13,900歩を歩いても、さほどの疲れもなく、以前より足腰が強くなったらしい。 

 撮ったのは、344カット。 数だけは多かったけど、家に帰って写真を確認すると、あんまりの出来。 先週は久しぶりに良かったけど、今日はなかなか。 最近は、撮れた写真を見ての驚きを得られることが少ない。 意識のレベルが上がったのだろう。 同じ調子のものばかり撮ってられないから、仕方がない。 

 何も考えずに、また、バチバチと撮るだけ、ですな。