録画してた『フェリーニのアマルコルド』。観ながら、眠くなったら寝て、また続きを観て、を繰り返した。
日常ってこんな感じだなあ、という映画の作り方。春の綿毛に始まって、次の春の綿毛が舞うところで映画は終わる。一見、おおらかな映画。
でも画面がきれい。色が良い。構図がかっこいい。うちにある本(高校生の時に買った『フェリーニ、映画を語る』というインタヴューの本)で調べると、ジョゼッペ・ロトウンノという人が撮影している。
もうちょっと拾い読みしてたら、『その時にふさわしい色、光、情景を追求して得ること、厳密さを決して放棄しないこと』という言葉を見つけた。はあ、やっぱりか。でなければ、こんな映画にはならないな、と思う。そういうのが映像であり、映画だなと思う。そういう意味での技術を手に入れたいものだと思う。
上のは、霧の朝の場面を撮った写真。この白い牛の他にも、雪の空を飛んでくる孔雀や猛スピードのオートバイなど、意味不明で、なんだかすごい。