日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

写真と言葉について、3  森山大道その5

やはり、紙くずと宝とが同居しているという感じが森山さんの写真にはあって、そのことがとても写真的だと思うのです。

それは『写真との対話』にも記述されているように、ニエプスが撮影した世界最初の写真が内包している意味や価値というものにつながっているのだろうし、現在においてそんなことを感じさせる写真というのも、めずらしいというか、貴重だとも思うのです。

僕は持っているわずか数冊の森山さんの写真集の中でも、そのことを感じさせる場面はあって
『Fragments/Representation of Moriyama Daidou 1964-1998 』の中の一コマ

これなんかも、すごい写真だなあ、とあらためて思ってしまうのです。

写真家が(にかぎらず、ひとりの人間が)生きている間にはいろんな局面があって、森山さんのようにたくさんの著作があるということは、その局面ごとにいろんな引き出しを見せるということでもあります。
僕にとって、森山さんの写真集の中では、先のようなことを感じさせるものが好きなのですが、先日、大阪の国立国際美術館で開かれてた『オン・ザ・ロード』では、何か違うなとも思ったりしました。
森山さんの写真をジャズを聞きながら見せる雰囲気になってしまうと、(なぜか、そう感じてしまった。会場で流してたビデオのせいだろうか?)自分にとって、あまり好みのものではなくなるようです。

そしてその後、タカ・イシイギャラリー京都と小山登美夫ギャラリー京都の共同企画展「森山大道 x 蜷川実花」などを見ても、これでいいのか?と思ったりもしました。

生きているといろいろあるというのは、森山さんの文章でもよくある「ああ人生のヒヤヤッコ」みたいなことで、結局その人のタレント性みたいなものは、作品の下にある思想と同様に作品の捉え方を左右するという大きい要素ではあるようです。
その上で言葉というのは、それを鮮明にさせるひとつの方法であると言えるのでしょう。

Fragments/ Representation of Moriyama Daido 1964-1998

Fragments/ Representation of Moriyama Daido 1964-1998