世界で起きるあらゆること、良いも悪いもすべてのことは、1人の人の頭の中に存在するものだと、僕は思っている。 他人事として切り離すことができない。
キリがない思考の宇宙での方向感覚を決めるものは、まず生まれ育った境遇だろうけど、それ以前に、遺伝子に組み込まれていたとか、いなかったとか。
いずれにせよ、やっぱり限界はある。
善でも悪でもない。 バランス的には、限りなく善に近い悪、人はだいたいそんなとこに位置してるのではないかしら。 例外や幅はあるけど。
偽の善は、限りなく悪に近いが、別に無理して悪に染まる必要もない。
独りで背負い込む必要はないが、全部他人任せでは、任される方もウンザリする。
外から見て、愚かだな、ってこともある。
生きるのは努力を継続することを必要とされる。 我が身果てるまで。
働き盛りや、冴えというのは、人生のそんなに長い期間のことでもないだろう。
その分野で登った山が高ければ、いくらか息は長く続くかもしれない。
でも、降りるときも気は抜けない。 耐え忍ばなければいけないかもしれない。
違った局面というのもある。それはそれで光ってるんじゃないの? みたいな。
ただ会社の労働では、あんまりそういうのはないかもしれない。
生き残るために、効率的なやり方を選択せざるをえないし。
同じ土俵で勝負させられるのって、本当は嫌なんだけど。
なんで、こんな文章になったのか、自分でもよく判らない。