日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

勉強は、免れない。

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世界で起きるあらゆること、良いも悪いもすべてのことは、1人の人の頭の中に存在するものだと、僕は思っている。 他人事として切り離すことができない。

キリがない思考の宇宙での方向感覚を決めるものは、まず生まれ育った境遇だろうけど、それ以前に、遺伝子に組み込まれていたとか、いなかったとか。 

いずれにせよ、やっぱり限界はある。 

善でも悪でもない。 バランス的には、限りなく善に近い悪、人はだいたいそんなとこに位置してるのではないかしら。 例外や幅はあるけど。

偽の善は、限りなく悪に近いが、別に無理して悪に染まる必要もない。

独りで背負い込む必要はないが、全部他人任せでは、任される方もウンザリする。

外から見て、愚かだな、ってこともある。 

 

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生きるのは努力を継続することを必要とされる。 我が身果てるまで。

働き盛りや、冴えというのは、人生のそんなに長い期間のことでもないだろう。

その分野で登った山が高ければ、いくらか息は長く続くかもしれない。

でも、降りるときも気は抜けない。 耐え忍ばなければいけないかもしれない。

 

違った局面というのもある。それはそれで光ってるんじゃないの? みたいな。

ただ会社の労働では、あんまりそういうのはないかもしれない。

生き残るために、効率的なやり方を選択せざるをえないし。

同じ土俵で勝負させられるのって、本当は嫌なんだけど。

 

なんで、こんな文章になったのか、自分でもよく判らない。

 

 

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