日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

写真にまつわる言葉

先日、京都はガケ書房で見つけた、富岡多恵子『写真の時代』。

いかにも古書となってしまった昔の装丁だけど、これがおもしろい。

写真「作品」と言われるものの持っている不快さについて明快な言葉であらわされていて、日頃感じていた写真「作品」というものに対するモヤモヤ感も「そういうことだったのか」と、共感する。

W・エグルストンの章。
写真作品によくある特殊な色彩のことは、「根拠のない誇張」と言ってるし、日本人ユーメイ写真家が海外に出むいて撮る写真は、「安物の大衆小説すぎる、大衆小説はいいのだけれど、安物すぎる。」と、言っている。
その上で、ここでの文章は、「エグルストンの写真がなによりもいいのは、アタマのいい写真だからである。」と締めくくられている。

写真の見方が、いまの感覚と変わらない。
詩人で、違う分野の人だから、写真の世界にすり寄ってきてない分、とても考え方が潔い。
本来は、こうあるべきなのだろう。

写真の時代 (筑摩叢書)

写真の時代 (筑摩叢書)