日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

暮らしの時間の探しもの、21

日常の緊張状態が、ひとまず区切りがついたところで、気がつけば今年も終わりだなんて、まったく味気ないことこの上ない。忙しいのは今の時代ありがたい話なのだけど、多少の無理も重ねたりして、やっぱり生きるって言うのは大変なことだ。それで当り前の話なのだけど。

今年はいろんなことがあったとは言われるけど、個人個人ではいつも何かがあるもので、それには、どうワメイタッて逆らえない。交通事故ひとつにしても、何の注目もあびないまま、苦しんでいる人たちだっているわけだし。

大きい時間の流れの中では、きっとみんな何かが平等なんだという気がする。
そんなこと言ってると、すべて時間の渦に流されていってしまいそうで、それもダメなのかもしれないけど。

遠くから眺めたり、近づいてみたり、まっただ中にいたり、そこから抜け出せなかったり。

写真の中で考えるのと、それ以外で考えるのと、そのふたつの関係を自分の中でどう結びつけるのか?
そのドキドキ感が、責任とか、生きるとかにつながる。

面白いと言えば、その方が確かに面白い。

見る距離と視点のことにちょっと関連して、佐藤雅彦の本『考えの整頓』(暮しの手帖社)を紹介。
タイトルを聞いただけで、魅かれてしまいます。
 
日常的な近い「もの」「こと」に、視点を合わせておられること、それが丁寧かつ清潔な印象なので、心地よいです。
わざわざ大げさでないところに、この方の個性と勇気を感じます。
平日の毎朝、『ピタゴラスイッチ』も見てます。


考えの整頓

考えの整頓

ピタゴラ装置DVDブック1

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