日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

せつなく悲しい「ヨゼフ・クーデルカ」さん。

自分の写真と向きあってばかりいると、うんざりする時は必ずやってくるもので、たまには違う人の写真もみてみよう

と、なんとなく選んだのが、ヨゼフ・クーデルカの写真。
何とも痛々しい、一瞬といった感じで、せつなく悲しい写真。

想像するにこの写真は、左腕のない男の人が海で遊んでる男の子に遊んであげようと近づいたら、男の子が泣き出し、お母さんがやってきて、男の人は気まずくなって立ち去ろうとする、といった場面ではないかしら。
その人にとっての日常のちょっとした苦い経験でありながらも、こうして写真になると、なんともせつなく痛々しい。

これは『EXILES』という写真集の中の1枚。
15年くらい前、この本の存在を知って探したところ、大阪心斎橋PARCOにあった洋書店「LOGOS」で見つけて、即買った。
当時7000円ぐらいした。
後で改訂版(中の写真が1枚違った)も見つけたりもしたが、さすがにそれは買えなかった。
そのLOGOS心斎橋PARCO店も、今はもうない。

このような物語的な一場面、決定的瞬間が写ったのこそが写真だと当時僕は思ってたのかもしれないけど、それだけが写真ではないことも、今は知っている。

とは言え、この写真も『EXILES』という本自体も、すばらしいということは今も変わらない。
マーティン・パーの自宅の壁にも、この写真がかかってるのを、雑誌で見た。
やっぱり、いい写真なのだろう。

クーデルカという人は以前は「寝袋で旅をしながら写真を撮ってた」ことや、「たとえそれが自分のやりたいことであっても、注文仕事ならばやらない」など逸話はいろいろあったけど、NHK新日曜美術館で「プラハの春」を撮影した当時のエピソードを饒舌に語る高齢の彼をみた時は、少し驚いた。
ちょっと困った雰囲気のある、おじいさんだった。