日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

The name of the lake “yogoko ”




上の写真は、滋賀県の最北にある「余呉町」という町のいちばんの名所であり、売りでもある湖「余呉湖」の写真です。

ここは僕の故郷なので、帰郷するとどこにいくか?と考え、で、知らず知らず足が向いてしまい、行ったら行ったで、せっかくだから一周しようか、となってしまう場所です。

雪の多い冬も静かできれいですが、晴れた日の早朝も、きれいなものです。

田舎なので、あまりサービス精神のない場所ではありますが、それでもよいと思える人にとっては、よい場所ではあります。これを撮った日も、テントがはられ、湖面に釣り糸をたらす風景があちこちで見られました。



撮るきっかけとしては、個人的なところが発端なのですが、写真としては「名も無く」的なことを望むわけです。
でも何にも説明のないのも、話が始まらないし。
そこで、見る人との、コミュニケーションのとり方として、作品タイトルがあります。

写真の横に“lake (yogoko)”とでも付記しとけば、押しつけがましくなく、いちばんよいのかもしれません。
いや、yogokoというのも、いらないかもしれない。
ともかく、英語って、便利ですね。

日本語で「余呉湖」としておくと、郷土色がこくなる気がするし、何よりも、ちっぽけ感がない。
英語だと、その単語と同じ軽さで「余呉湖」も、単に“lake”として扱える。

つまり、撮り手と被写体にちょうどよい距離が生まれるわけです。
そういうことは日本語にはできないのかしら? それとも、母国語をつかう人の、ただの思い込みなのかしら。

いずれにせよ、「英語、勉強しなければ」と思ったりもするのです。