日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

誰もいない。







脇道を見つけて、ハザードランプを点灯させる。
後続の車が追い越していく。

山道をゆっくり走る。誰もいない、山の中腹。

向こうの連なる山々に鉄塔がかすんで見える。
何を撮ればよいのか、樹々の枝の重なりを頼りに、その何かをピントの具合で探ってみる。

新緑の光と陰。よい季節。よい夜明け。
流れ落ちる水しぶき。見上げて撮って、見下ろして撮って、いろいろやってみる。











国道に戻り、さらに進む。

県境のスキー場。その手前、土の斜面の入り口がある。
奥へ行くと、坂を上った先に『夢炭』という看板がかかった炭焼き小屋を見つける。
その横には手作り風の『ちびっこ広場』。

アレック・ソスの『ブロークンマニュアル』に似たものを感じる。
その写真集を見たアラーキーは「何でこんな悲しい写真ばっかり撮るの」と言っていた。
確かに悲しい。
以前、僕が廃村になった場所で撮ってた時、死んだ父にも似たようなことを言われた。

国道を通り過ぎる車を横目に、そこには、ちょっとした楽園がある。
人影はない。僕だけ。

誰もいない場所で「こんなこと」をしている自分。
自然観察や、秘境めぐりなんかではない。
目的は、もっとぼんやりしたもので、悲観ではなく希望。

一言で言えば、「きれいな、暗い、写真」。