日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

11月23日。勤労と写真。

勤労感謝の日に少しばかり仕事して、午後の時間はどうするか。

三条でお昼を済ませたあと、いつも立ち寄る丸善へ。
丸善と言えば自分の場合、淀川長治を連想する。古き良きと言っては何だが、好きなお店。冷静に本が並んでいるのが好きな理由だ。

トイレ入口の横に陳列してあった本城直季の写真集は『京都』より『東京』の方が良いと思えた。理由は、『東京』の方が「写真」だからだ。写真そのものを扱いたい、または見たい人には、京都ブランドというのは邪魔な存在のように思う。

自分は、それとは関係ない本を買って店を出た。

南へ向かって歩いてみることにする。
その後、今まで足を踏み入れたことのない通りを歩きまわり、結構な興奮を覚えながら写真を撮ってまわった。
しかし自分の興奮とは違い、カメラというものは冷静に風景を見つめていて、後で振るいにかけて残った写真は以下のものっだった。

いつだって冷静に良い写真というのは、自らの興奮とは別のところにあるものだ。