日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

暇に、まかせて。

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暇にまかせて、文章書きをします。

 

僕は、自分の写真を発表できるまでのものにするには時間の積み重ねがないと、それなりに厚みのある作品はできないと思っています。

展覧会が決まってから撮っているのでは、到底お見せできるような作品にまでもっていくことはできません。

基本、展覧会が決まったら、まとめに入るくらいの状態にしておかないと絶対に無理です。

たぶん世間の写真家さんのやり方もきっとそうだろうと思い、自然と自分もそういうやり方をするようになりました。

 

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今年10月ごろに予定している自分にとって久々の個展は、一昨年の年末からの撮影したものをまとめています。

写真のモチーフは夜明けの時間であり、僕は普段から夜明けに撮影することが多いので、自然とそれをまとめたものになりました。

昨年春ごろだったか、撮った写真をスライドショーでまとめてみたら、すでにそこに1つの作品ができていたので、そこでギャラリーにもっていく決心をしました。

 

その後、いくらかは新たに撮った写真と入れ替えをしながら、展覧会と同時に、写真集として編集の作業も続けています。

これが、どれほどのレベルの作品なのか自分でも全くわからないけど、できることの全部はやっているので、もしダメならダメで仕方がないと覚悟しています。

 

で、その作業ばかりに根詰めていたら「思い」がねじれて変になってしまうので、それとは別の撮影も日々、並行して行っています。アクセルとブレーキを使い分けているのです。

この半年くらい、このブログでupしている写真が、それです。

コロナウィルスを避けるためというか、これまでと同じく、夜明けに街に出て三脚を使って京都の街を撮影して回っています。

これまで縁のなかった街々を自らの勘をを頼りに歩き回り、『京都』という看板をはずした「キョウト」の街を淡々と写真にしているのです。

これがめちゃめちゃ面白い・・・撮っている行為が楽しくて仕方がないのです。

 

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これまでの自分と違って、「京都」というはっきりした対象にいざ自分が対峙した時、ここまで撮る気持ちと行動が京都という街に誘われていくことになることを体感すると、俄然、写真を撮ることが面白くなりました。

 

現代の街としての京都、そんな対象を自分はどのように写真にするのか、今更だろうが何だろうが、無駄だとしても、やるしかないという状態に陥っています。

まあ、自由の身なので、やりたいことをやろうと思います。

 

 

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