日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

遊びあいて。

 

 

 滋賀の田舎の実家の裏には、当たり前に畑が広がる。野菜の畑の外側には草花が咲き、そのほか鉢植えの花々も咲いている。 田舎の庭だから、都会のお金持ちのお庭のように上品で優雅とはけっして言えないが、それでも味わいがあり花々は可愛く咲いている。 

 

 自然がどうだとか、そんなこと思う前から山を眺め、草の匂いをかぎ、何もない田舎の野道歩く環境に、テレビや本の世界の空想を無理やり重ね合わせて、僕は遊んでいた。 日本は緑が豊かだから、そんな環境はいくらもある。 結局、自然を飽きることなどできない。 歳も重ねれば、また良い遊び相手になってくれる。

 

 

 

 

 友達が送ってくれた紫陽花に毎朝水をあげる。 勤め先でもらった苺の苗を育てイチゴを収穫したり、水仙の球根を植えて花を咲かせたり、パンジーの鉢植えを持って帰ってきたり、毎朝掃除するマンションの中庭に向いた玄関に、少しばかりの自然の潤いを添えてみる。

 

 ああ、僕は立派な「おじさん」。若者文化や流行りも、いずれはホコリをかぶる。それでも残る光を拾い集めて、この先も自分のペースで生きていくのさ。