日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

ひとりからしか生まれない。

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 他人が見ても一眼で理解してもらえるような、安全なことだけをやっていても仕方がない。 それだけでは治まりがつかないことは自分が一番わかっているのだから、不満があるなら自分でなんとかするしかない。 他でごまかす事が出来ないのなら。

 

 本当に面白いと思えるものは、ひとりの人の中からしか生まれない気がする。 

 

 ひとりの人が日々感じる時間の感触や生きている味わいみたいなもの、そういう些細な瞬間や場所からしか、本当に面白いというのは生まれない気がするのだ。 そこに意味など無くても。 

 

 自分のやりたい事をやる。 今の僕には、それが一番必要なことだ。 言葉にすれば簡単だけど、そこにたどり着くのは容易ではなかった。 年月を経て、やっと分かりかけてきた気がする。 とくに写真はカメラがあれば誰でも撮れるものだから、一見、用意された場所があるように見えるけど、自分の場合、そんな楽しげな欲求は持ち合わせてなかった。 雲を掴むような状態のままで、それでいて未だしつこく撮り続けている。 まさに、孤独の為せる技だろう。

 

 

 

 

 他人の分析は気分しだいで安易にできるだけに、もう空しくてやってられない。 腹立つことはたくさんあるけど、その怒りが次の写真を撮るための燃料になるなら、まあ良しとしたい。 

 

 他人に一眼で理解されるようなことは、たぶん続かないと、僕は思う。