日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

その時のこと。

 

 

 昨日の午後、FUJIDAI RECORD FAIR vol.5 に行って、LP( 12インチ )のレコードを3枚買う。

 

 ジミヘン『レインボーブリッジ』と、RCサクセションの『ハードフォークサクセション』、そして 藤圭子『知らない町で』。 とくに藤圭子はジャケットは素晴らしくて、値段も少しお高く、ちょっと迷ったけど買うことにした。 で、曲目を見ると先に買っていたシングル盤の曲と重なっている。 あっちとこっちが繋がって、少し深みも生まれ、嬉しくなった自分。

 

 そんな昨日の午後は疲れに加えて、空もどんよりしていたので、1枚の写真も撮る気が生まれなかった。

 最近は大阪の中心部を主に撮っているので、興味が失せた状態で見る京都の街は、僕の目には完全に色褪せて映る。 勝手なものである。 

 

 

 その時のことでなくなれば、同じものを前にしても写真を撮る動機は嘘みたいに消え失せる。 当たり前と言えば当たり前だが、そういう一期一会を撮るというのが面白い。 CMでよくある「その一瞬を逃さない」ていうのとは少し違う。

 

 昨日買ったジミヘン は( 僕には )アカンヤツだったけど、この人が出す「その時の音」は、しばらくして聴くとその演奏の細部の中に、また新な何かを感じさせてくれる。 それが凄い。

 ジミヘン の音の個性は、永遠の謎。 今さら誰かがやっても、モノマネにしかならない虚しさを突きつけられる。 たまに誰かのカバーを聴くと、大概、ガックリする。 よくそんなことやれるなと思う。

 自分の意思と技術は自分で突き詰めるしかない。 そのことを自分が思い知れば知るほど、他人が我が物顔になって騒いでいるのを目にすることが、僕は歳と共に受け入れられなくなってきた。 それどころかタイミングが悪ければ、この先僕はどうやって生きていこうかと、頭を抱えることにもなるのである。

 無我夢中というのが、一番いい。