日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

「写らない」を知る。

 「世界はあなたの遊び場」 

 1月28日、大阪48日め。 午前6時の京橋のビジネスパーク内のマクドナルドにて。 ビジネスに縁はないが、この場所は好きだ・・・朝に限って・・・だと思う。 昼は歩かないので。

 大阪に通い始めてから、何度か声をかけて人を撮らせてもらったが、しっくりときていない自分。 ポートレートを撮ったということで、写真を作品として成立させることが僕には、どうも出来ないのだ。 上がりを見ても薄っぺらな感じがするし。 

 

 自分のことも判らないし、写真を撮ったからと言って他人のことなど、もっと判るはずがない。 風景や状況の中で人間を見るというやり方の方が、僕には合っている。

 

 人格は人間というものの一側面でしかない。 そしてその人格というものも複雑で、同時に散漫なもの。 小手先で安易なことはしたくない。

 

 自分という人間も含めてだが、人を動物的な視点で「生態を眺める」というくらいの方が良いのじゃないかと思う。 街という状況も含めて。

 

 そしてその後に、人柄としての何かがじんわり滲み出てくるものがあれば、それは写真の撮り方としては、成功ではないかと思う。  

 やっぱりダイアン・アーバス の写真は、写真だと思える。 「写真には写らない」が写った写真というか・・・自分でも言ってる意味がよく判らない。 でも、そんな感じ。

 

 1日という時間が短い。 それでいて、感情の波は一瞬でスパークしては、いつの間にか消え失せる。 僕はいつまで経っても、どっちに行けばいいのかよく判らない子供のまんまに、今日もまた眠くなる。 そしてまた気がつけば、明日になっているのだ。