現在開催中の 私の展覧会『kyoto at dawn』は、展示期間が3月31日までとなっています。
場所は CAFE OTOWA さんです。 京都清水寺から徒歩5分、清水坂観光駐車場タクシー乗り場前にあります。 京都お住まいの方も、そうでない方もお立ちよりの際には、ぜひ、ご高覧ください。 よろしくお願いします。
昨日2月3日はいつも通りに大阪に撮影に行き、今朝は家で、諸々の整理作業をやることにに決めた。 よって、撮影は休み。
進むべき方向が霧に覆われて見えなくなっている。 昨日もほとんど空回り。
写真のことを文章にするのに、ほとほと困っている。 どうやって書いても、しっくりこないのだ。 もうヘトヘト。
前回の更新で、ダイアン・アーバス の写真が頭に浮かんだので、久しぶりに『ダイアン・アーバス作品集』(筑摩書房・初版1992年)を開いてみる。
この本の冒頭に、ダイアン・アーバス がワークショップで話した言葉が15ページにわたって掲載されている。
これは当時ワークショップに参加した奈良原一高氏がカセットテープに録音していた音源をもとに作られた文章。 雑誌ユリイカに奈良原氏がその時のことを書いた文章が掲載されています。 これ、名文です。
作品集の冒頭の文章を久々に読み返してみると、この本にあるこの言葉が知らず知らずのうちに自分の中に生きていたことがわかった。
写真を始めて間もない頃で、写真集もまだ5冊と持ってなかったうちの1冊だったというところはある。 でも、教科書的に受け入れたわけではなくて、共感の方が大きかったのではないかしら・・・という気もする。
ダイアン・アーバス はたぶんバリバリの職業カメラマンという雰囲気の人ではないし、この文章も感覚的な言葉だから、こちらに入ってくるものが、その時によって違ったりする。 でも彼女の言葉に嘘がないのは伝わってくる。
ダイアン・アーバス の写真は、本当に写真っぽい。 限りなく、写真に近いところにある感じがする。 この特異さは、当たり前のことではなかったのだと、今になってまた更に気がつくことになった。
いや、いや、いや、いや・・・そんなこと考えていたら、また落ち込んでしまう。
とりあえず、今は自分の写真を現す言葉を探すこと。
自分の写真を撮ることは、自分の写真を探すことだから、その辺りのリアリティを書き表したいと思っているのだけど、熱望するが故に、ひたすら頭を抱えているのです。 思いあがっているのか? どうなんだ?
なので、今日こそ、頑張ります。