日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

新作展のお知らせ。

現在開催中の私の写真の展示は、3/31まで。

そして、

5月1日から5/12には、新作「 new world 」展を開催します。

KYOTO GRAPHE  KG+ 参加の写真展です。

 

写真を撮るために用意されているものは何もない場所に行って、

そこで自分にとっての「写真」を探す。

 

大阪の街を撮り始めたのは、昨年5月のこと。

別に大阪らしさを求めたわけではない。都市と人のいる状況を客観する、

そこに興味があった。

 

ひたすら歩いて街と対話し、何かが見えたと思えば、手当たり次第にシャッターを切る。

 

実際、写真との間に親密な関係さえ保てれば、天王寺から梅田までの距離も夢中で徘徊できたし、

その道中には予期しない波風が起きたりもする。

 

雑踏の中で途方に暮れ、目的を見失うこともある。

 

そんな浮き沈みの最中、意図を超えた写真の「一枚」は、

撮影する本人にも気づかない意外な瞬間に生まれているものだ。

 

そこから見えてきたのが、自分にとっての new world

 

たぶん私は、力づくでは動かない何かを、

私なりのやり方で動かそうとしているのだと思う。

 

これは、展覧会のDMに書いた文章です。

言葉が先か、写真が先か、で言えば、間違いなく写真が先です。 

まず始めに言葉を意識した後、具体的に創作するのは、不自由でしかない。

面白くない。

言葉を意識しない無意識の行動の後でその理由を言葉にするのは、

これから入るべき迷路の入り口が一体何処にあるのか、見つけられないようなもので、 

とても難しい。

 

果たして写真を撮っている時の自分の行動には、中味は有ったのか?

ずっと、迷う。