日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

気楽にやれない。

 今日は休み。 晴れて自由の身。

 今日は午前中から用があるので、大阪の撮影は休み。 などと言いつつも、すでに締め切りは目前で、早いとこ作品の展示プランを決めてしまわなければいけない時期に来ているのが実情。 

 そんなわけで朝6時から、こたつの上にスチレンボードを置いて、昨日上がってきた作品のL判プリントを並べ、ギャラリーの壁ごとの展示プランを考える。

 並べてみて初めて頭の中だけで考えていた展示構成が、あまり良くないことに気づく。 希望を持っていただけに、頭を抱えた。 

 気分を変えて、とりあえず平日と同じように朝のルーティーン。 歯を磨き、ラジオ体操をし、TVを見ながら朝食を食べ、その間に別の案を思いつき、それに頭を切り替えて、再度写真を並べてみる。

 

 昨夜録画した『六角精児の呑み鉄本線・日本旅 特別編 音楽たっぷりスペシャル』

を横目で見ながら、番組の気持ち良さに背中を押され、結果スイスイと作業は進んだ。 まあ、いいでしょう。 

 今日upした写真は京都市内で撮ったもの。 四条方面に用事はあったが、行きも帰りもバスには乗らないで散歩がてらに撮影した。

 とにかく良い悪い、使う使わないに関わらず、写真を撮リたいのである。

 会社の休日に創作の意識まで止まってしまうと感覚が鈍化する気がするし、時間を無駄にすることにも我慢ができない。 明日の朝やるであろう締め切り間際の大阪での撮影も、理由はそれと同じだ。

 

 何であれ、もし何か良い写真が撮れれば、それはそれで使うし、そういうチャンスを最後まで狙っているのである。

 そんな感じで、調子良く帰宅したものの、夕方、毎日放送『報道特集 地震と原発を考える』を見て、人間の馬鹿さ加減に心底ガックリさせられてしまった。 絶望的。 現実が一番重たくて、恐ろしく感じる。 

 

 やっぱりTVは必要だと思う。

 

 若い世代のテレビ離れが激しい今だけど、事実を知るにはやっぱりテレビが手っ取り早いし、関係ないでは済まされないことが少し前よりは深刻化している気がする。 80年代に夢見た感覚が今は全く違うものになってしまった。 わずかな時間で。

 

 テレビを簡単に否定するべきではないと思う。 昔ほどバラエティーは見なくなったのは事実だが、その他のジャンルで言えば、毎週チェックしている番組が僕には幾つかある。 やはりドキュメンタリーを見ることが多くなった。

 

 もし本当にテレビがなくなる時代が来るとすれば、それは本当にヤバい時代の到来かもしれない。 想像してみて。 テレビを簡単に否定するなかれ。

 僕の作品の展示は3月31日までです。 5月には新作の個展開催します。 見てちょ。