日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

ありがとう。

 あまり人と一緒に行動したり、遊んだりすることが多くないものだから、たまにそういうことがあると、地味な自分の人生に大きな花が添えられる。

 昨日と一昨日は、友人と過ごしたとても楽しい2日間だった。 久しぶりの量のお酒を飲んで悪酔いすることもなく、ホント、ニコニコだった。

 去年の年末ジャンボで1万円が当たっていたので、昨日それを換金し、ようやくこのタイミングで役立てることにする。 

 

 ここではいつも超個人的な自分の内面や、その行動を書いたりしてるけど、人とお付き合いした具体的な出来事を書くのは、何だか照れ臭くて書くことができない。 それに相手があってのことだから、自分本位にはなれないし。

 

 やっぱり、「ありがとう」だけが人生だ。 そこでこの1曲をリクエスト、ていうかリンクする。 いまの気持ちとこれからの夢を、この歌に託します。

 

新作展のお知らせ。

現在開催中の私の写真の展示は、3/31まで。

そして、

5月1日から5/12には、新作「 new world 」展を開催します。

KYOTO GRAPHE  KG+ 参加の写真展です。

 

写真を撮るために用意されているものは何もない場所に行って、

そこで自分にとっての「写真」を探す。

 

大阪の街を撮り始めたのは、昨年5月のこと。

別に大阪らしさを求めたわけではない。都市と人のいる状況を客観する、

そこに興味があった。

 

ひたすら歩いて街と対話し、何かが見えたと思えば、手当たり次第にシャッターを切る。

 

実際、写真との間に親密な関係さえ保てれば、天王寺から梅田までの距離も夢中で徘徊できたし、

その道中には予期しない波風が起きたりもする。

 

雑踏の中で途方に暮れ、目的を見失うこともある。

 

そんな浮き沈みの最中、意図を超えた写真の「一枚」は、

撮影する本人にも気づかない意外な瞬間に生まれているものだ。

 

そこから見えてきたのが、自分にとっての new world

 

たぶん私は、力づくでは動かない何かを、

私なりのやり方で動かそうとしているのだと思う。

 

これは、展覧会のDMに書いた文章です。

言葉が先か、写真が先か、で言えば、間違いなく写真が先です。 

まず始めに言葉を意識した後、具体的に創作するのは、不自由でしかない。

面白くない。

言葉を意識しない無意識の行動の後でその理由を言葉にするのは、

これから入るべき迷路の入り口が一体何処にあるのか、見つけられないようなもので、 

とても難しい。

 

果たして写真を撮っている時の自分の行動には、中味は有ったのか?

ずっと、迷う。

 

 

 

歳を重ねれば。

 

 午前3時ごろに布団から出て部屋に入り、出かける時間まで、個展の準備作業の続きをやっていると、途中で止めることができなくなった。 よって大阪での撮影は、今朝はやめにする。

 そんなわけで準備の方は、はかどった。 幾らかの課題も見えたし、搬入も少し楽にできそうだし。 何せ、前回の個展の展示が大変だったものだから ⤵︎

 次回の搬入は、できるだけ楽したい。 おんなじことをやるのも嫌だしね。 少し点数を削ぎ落として、「間」を活かす展示を目指している。 

 毎回、会期中は落ち込んだりしないで、気持ち良く在廊できることを願っている。 展覧会の最中に自信を無くすと、自分自身がいたたまれなくなるものだから。 

 

 調子に乗るのもみっともないが、明るい気持ちを維持するのは大変なんだ、結構。 

 午後、散歩ついでに一乗寺恵文社に行ってみる。

 このお店は、写真集に限って言えば、在庫がそれほど多いというわけではないのだけど、時々、他所では見ないようなのを置いてたりする。 

 僕は、海外の写真集が好きなものだから、近くの書店でそれが置いてあるというのは、さすが京都という感じがしてありがたい。 店内が雰囲気ありすぎて、少し退いたりもするけどね。

 

 ま、今日に限らず、僕はいつだってお金がないものだから、衝動買いというのは近頃控えていて、今日も見るだけで何も買わずに、お店を後にした。 老眼もあって、寝る前に本を読む習慣も無くなったし。 冷やかしですみません。

 

 あ! でも店内で本を開いた瞬間に、ちょっとした考えが閃いたりもしたので、行った甲斐はあった。 お店を出た後、写真も少し撮れたし。 

 ああ、しかし。

 今日のような平和な日常、心地よい暮らし、そんなのを写真に撮ろう・・・・・・などという考えが、何時からか僕の中には無くなった。

 

 そういう類の「緩さ」は、僕の中でしっくりとこなくなっている。 5月に開催する新作の個展にの作品のセレクトからも、そういう写真は除外しているし、そんな視点に立つようになって、随分と時間が経つ。 

 

 別に意地悪をするつもりはないけども、目の前の空気の「それ」だけでは済まされない方向に僕の意識は向いているので、ていうか、現実世界がそうなので、お気楽にはいられないのである。 むしろ、絶望的ですらある。

 

 やはり写真を撮る以前に、人間と世界のなかで起きる様々なことに、自身の意識も考えざるをえなくなるのだ。 

 小津安二郎の映画は、単なるホームドラマではないと、いうように。

 3月31日まで、僕の作品の展示やってます。 良かったら見てね。 






 

気楽にやれない。

 今日は休み。 晴れて自由の身。

 今日は午前中から用があるので、大阪の撮影は休み。 などと言いつつも、すでに締め切りは目前で、早いとこ作品の展示プランを決めてしまわなければいけない時期に来ているのが実情。 

 そんなわけで朝6時から、こたつの上にスチレンボードを置いて、昨日上がってきた作品のL判プリントを並べ、ギャラリーの壁ごとの展示プランを考える。

 並べてみて初めて頭の中だけで考えていた展示構成が、あまり良くないことに気づく。 希望を持っていただけに、頭を抱えた。 

 気分を変えて、とりあえず平日と同じように朝のルーティーン。 歯を磨き、ラジオ体操をし、TVを見ながら朝食を食べ、その間に別の案を思いつき、それに頭を切り替えて、再度写真を並べてみる。

 

 昨夜録画した『六角精児の呑み鉄本線・日本旅 特別編 音楽たっぷりスペシャル』

を横目で見ながら、番組の気持ち良さに背中を押され、結果スイスイと作業は進んだ。 まあ、いいでしょう。 

 今日upした写真は京都市内で撮ったもの。 四条方面に用事はあったが、行きも帰りもバスには乗らないで散歩がてらに撮影した。

 とにかく良い悪い、使う使わないに関わらず、写真を撮リたいのである。

 会社の休日に創作の意識まで止まってしまうと感覚が鈍化する気がするし、時間を無駄にすることにも我慢ができない。 明日の朝やるであろう締め切り間際の大阪での撮影も、理由はそれと同じだ。

 

 何であれ、もし何か良い写真が撮れれば、それはそれで使うし、そういうチャンスを最後まで狙っているのである。

 そんな感じで、調子良く帰宅したものの、夕方、毎日放送『報道特集 地震と原発を考える』を見て、人間の馬鹿さ加減に心底ガックリさせられてしまった。 絶望的。 現実が一番重たくて、恐ろしく感じる。 

 

 やっぱりTVは必要だと思う。

 

 若い世代のテレビ離れが激しい今だけど、事実を知るにはやっぱりテレビが手っ取り早いし、関係ないでは済まされないことが少し前よりは深刻化している気がする。 80年代に夢見た感覚が今は全く違うものになってしまった。 わずかな時間で。

 

 テレビを簡単に否定するべきではないと思う。 昔ほどバラエティーは見なくなったのは事実だが、その他のジャンルで言えば、毎週チェックしている番組が僕には幾つかある。 やはりドキュメンタリーを見ることが多くなった。

 

 もし本当にテレビがなくなる時代が来るとすれば、それは本当にヤバい時代の到来かもしれない。 想像してみて。 テレビを簡単に否定するなかれ。

 僕の作品の展示は3月31日までです。 5月には新作の個展開催します。 見てちょ。


 

 

 



 

 
 



私の戦争と平和。

 今朝はJR大阪駅という「ド真ん中」から歩き始めたにもかかわらず、なぜか郊外っぽい風景の中をたどることになった。

 とくに狙ったわけではない。 でも・・・今日は自分の中にぼんやりとした目的があって、普段とは逆方向を歩いたりしたことで、道に迷った結果がそうなったのだ。 あえてスマホで調べることもせず、太陽の位置から東西南北を見て、行き当たりばったりの適当にまかせた。

 上の最後の写真は、淀川の橋のたもとで見つけた明倫観世音菩薩像。

 

 たぶん終戦間際の昭和20年のことだと思うが、空襲を逃れてこの河川敷にたどり着いた近隣の住民を、さらに敵の機銃掃射が襲い、この場所で出た多くの犠牲者を供養するための菩薩様だと書かれてあった。

 昨日、録画してあったNHKのドキュメンタリー『戦場のジーニャ』の映像を見たところだったので、機銃掃射という文字からの恐怖が生々しく感じられた。

 ただし、番組はまだ一部しか見ていない。 

 その入り口ですでに感じる恐怖とやるせなさ・・・・だけど、ここは日本・・・と言っても同じ地球の上・・・いやいやいや、明日の仕事のこと・・・それに、やりたい事とやらなければいけない事・・・意識と力の配分すら、わからない、見当さえつかないという、この感じ。

 映像に写っているような、こんな虚しくて残酷なことを回避することもできず、一度起きてしまった嵐を鎮めることもできず、死ねば何も言えない。 生きても苦しむ。

 

 自然界の他の存在と違って人間の存在というのは、なんて生やさしいのかと思ったりもする。 犠牲を何かの形で謳わなければ、無になることもできない。 何て面倒な生き物なんだろうと思う。

 死は仕方ないが、生きているうちは不幸からは逃れたい。 あと、子供をそんな目に合わせたくはない。 お願い!

 その後、今日のうっすら目的を実行する。 上は、羽鳥善一の仕事部屋のピアノ。

 連ドラ『ブギウギ』のセット公開。 見にいっちゃいました。 
 

 昨年5月から大阪で写真を撮っていたら阪神タイガースが38年ぶりに優勝して、いつもとは違う今しか見れない風景を撮ることができて、ラッキーな気がしてたのです。 

 その気持ちにかぶせて、せっかく大阪に通っているのだから、いま好きで見てる連ドラのセットだって見れるものなら見ておこうと、今日、NHK大阪放送局に行ったわけなのです。

 

 一部以外は撮影がOKだったので、ミーハーよろしく、普段の撮影と同じカメラで、ドラマ収録に使われたセットを撮ってきました。 

 個人的には最初に見た羽鳥善一の作曲部屋が、僕にとっての一番でした。 

 

 下は、「はな湯」のセットで撮った写真。 この女の子と僕は何の関係もありません。 なので、半分顔が隠れている写真の方を選んでます。 

 僕の現在公開中の作品展は3月31日まで。 よかったら見てください。

 

言うは易し、西川ヘレンです。

 この2〜3日、頭の中で 荒井由美の『ひこうき雲』が鳴っている。

 

 「やっぱり録画しょ」で見た WOWOW の番組『SONGS & FRIENDS 荒井由美「ひこうき雲」』が、良かったものだから。

 ティン・パン・アレーで黙ってベースを弾く細野晴臣が、えらくカッコよく見える。

 

「言うは易し、西川ヘレンです」と言ったのは、ステージ上の松任谷由実

きよし」ではなく「ヘレン」と言ったところがよかった。 西川ヘレンは、西川ヘレンであることが妙に凄いし、松任谷由実の口からこの名前が出たことにまた、グッとくる。 

 

 3回見た。

 今朝は予報通り、やっぱり雨。 午前3時ごろ目を覚ました時には結構な雨音が窓の外から聞こえていたから、大阪に撮影に行く気力は萎えた。 まあ、いいさ。

 

 イルフォードのサテンの紙を買って、いくらかプリントしてみたのを並べる。 人ゴミが写った写真のみを並べてみる。 いったい、どうなんだ?

 同じ写真でも、データで見るのとプリントで見ることの違いを知っとく。 実際、違う。 自分の眼が変わる。 今度5月にやるのは展覧会なので、プリントを展示する。

 こういう写真の羅列の展示は成功するのだろうか、ちょっとわからない。 決めるのは、もう少し先の話。 ボチボチと、のたうち回ろう。

 僕の作品展示中です。 今日は雨なので、また今度でいいから、良かったら見てください。

3月31日までやってるので。 

 

穏やかな気分。

 本日は休日。 明日は出勤。 日曜は日曜日。 つまり僕の金・土・日は、3連休ではない。

 今朝の大阪は、午前7時にJR天王寺駅から始まり、新今宮、新世界、日本橋、なんば、心斎橋、そして淀屋橋まで歩いて終了。 弱い雨が降って、傘をさしたり、閉じたりする。

 午前11時発の帰りの京阪電車では、走り出してからしばらくの間は眠り、その後はボンヤリと外を眺めた。 

 

 車窓の風景がスイッチとなってか、僕の頭の中では不意の「問い」が浮かんでくると、それに答え終わらないうちに飽きてしまい、また別の「問い」が浮かんでくるという、その繰り返しがループする。

 

 別段、頭を抱えて悩んでいるのではなく、のんびりとした心地のまま、考えを整理するわけでもなく、ただひたすらに、穏やか。 終点の出町柳で下車してからも、その穏やかさは続いた。

 今日のお昼は寄り道して、天下一品銀閣寺店でラーメンと普通サイズのライスを食べ、その後も散歩して帰った。 やはり、穏やかな気分。 おなかも満足。

 

 今日の休日に気持ちが焦ってないのはなぜなのか? 何がいつもと違うのか? 不思議な心地。 雨のせいなのか、明日1日働けば、また日曜日だからなのか?

 

 ・・・って、3連休の方が良いに決まってるじゃん。 

 新世界を撮影に歩くといつもチェックする、新世界の国際劇場地下劇場。 手書きの宣伝文句にいつもよく目にする「地獄」の文字。 ディープな作品ぞろいで、想像しただけで、夢に出てきそう。 

 キョンキョーン!

 

 僕の写真作品が、展示中。 3月31日まで。 よかったら、見てね。