日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

個人と世界との線引き





プライヴェートな時間の中での眺め・・・ではあるけど。

1枚の写真になってしまえば、どんな種類の時間に撮られようと、関係ない。
一歩、部屋を出れば、それは写真にとって、すべて等価な世界。
距離ではない。

私の生活の一部として撮るのか、逆に世界の側からの一部として撮るのか、
自分の意識は、そんなところをウロウロする。

フレームで切り捨てるのは、私個人の意識。
どちらかと言えば、そっち方向。

それで写真の写り方は、実際、変わってくるのかしら?