人は他人のことなんて、判らない。それと同じくして、自分のことも判ってもらえない。
黄昏時、小さなストロボを焚いて、撮っているのだと思う。
実際の色ある風景を想像すると、それはうっとりするようなものではなかったのかしら。黄色い光。
これに写った人々に魅了された感じは理解できる。「自分が奪われて」しか撮れないのかもしれない。
つまりは、失礼になるからだ。
偽ることなく、撮りたいと思ったなら撮るしかない。本当しか、ない。
そんな自分。他人には理解できない、見えない事実。
写真というのは、辛い。現実と同じく。