日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

答えなど無く。

















人は他人のことなんて、判らない。それと同じくして、自分のことも判ってもらえない。

黄昏時、小さなストロボを焚いて、撮っているのだと思う。
実際の色ある風景を想像すると、それはうっとりするようなものではなかったのかしら。黄色い光。
これに写った人々に魅了された感じは理解できる。「自分が奪われて」しか撮れないのかもしれない。
つまりは、失礼になるからだ。
偽ることなく、撮りたいと思ったなら撮るしかない。本当しか、ない。
そんな自分。他人には理解できない、見えない事実。

写真というのは、辛い。現実と同じく。