日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

止まらない。








出かけた先から家に帰るまで、どの道を歩いて写真を撮るのか。いろいろ歩き尽くして、選択肢が無くなってきた。
今日は途中、地下鉄を経由して結構歩いたが、わびしい気持ちばかりが先に立って、まったく気持ちがのらないままに終わった。

2月に入り、陽が長くなってきたからか、午後3時を過ぎても風景の色が青くならない。
昼間の黄色い光は「日常」過ぎて、どうもダメだ。少なくとも今は。

エグルストンだって、森山大道だって、同じ気分を味わうこともあるはずで、自分だけが恥ずべきことではない。
「写真と言葉は相容れるものではない」と、エグルストンは言った。
言葉にならなくても撮りたい対象に流されればよい。撮る理由は自分の中と、撮った写真の中に在る。

写真を始めて20年を過ぎても、未だ自分がそんな気持ちでいるのは何故なのか?
他人から見れば、さぞ不思議に見えるだろう。