日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

気にしない。

f:id:sakakazupics:20190707060006j:plain

f:id:sakakazupics:20190707060043j:plain

なんか、別にいいかと思いはじめてる。 そうとなれば、気楽なものだ。 気楽さが後ろめたいことになるかと言えば、別にそんなこともないだろう、今さら。 

人をやいのやいのと言って自分を優位に立たせることは良くない精神状態だ。 見る側が腹が立つように煽る動画を流して視聴率を上げようとするニュース番組みたいに、結局中身は何もない。

人がどう思おうと気にはしない。 人に付き合うことが人生のすべてだと言う人はどれほどいるのだろう。 人を粗末に扱う気はないが、その才能が無いのなら仕方がない。 自分の人間性に観念するしかない。 そういうことだ。

写真がナンボのもんか、芸術がナンボのもんか、それらを信じ込んでやっていられるほど、自分は気楽な人間ではない。 芸術的ってなんのこと? 「芸術的」・・・変な言葉だ。 本当にそう思う。 「的」ってことは、芸術ではないってことになる。

「芸術」と呼ぶに値するか、否か、それしかない。 

写真はといえば、目の前のことがそのまんま、写真というものになる。そのことがすごくて、それは、この世界がなんなのか 人間ってなんなのか、ってことになる。

だから、・・・・・うーん、ま、いいか。