今朝も出かけて写真を撮ろうかと思っていたけど、やめちゃった。
今日は撮っても、意味がないなと思った。
自分自身がそういう状態に思える。
今度の展覧会で見せる写真は、ほぼ固まっている。
近いうちにその本は作るつもりだし、その構成も決めている。
まず写真が存在しなければ、構成できないし、構成が形になっていけば、
省く作業にも意味が生まれる。
今撮っている写真は、それとは別のもの。
あと一歩というところまで来ている気がするけど、
自分自身の署名は、まだつけられていない気がする。
探しても、見つからない。
今度は自分自身の方を揺さぶってみる。
偏った見方を変えて、また見てみる。
結局、お手本なんてなかったのだ。
子供の時から、僕は僕の本の読み方をしていたのだと思うし、
そういう漠然とした揺れ動くものと関係しながら、
読者としても、作りたい人としても、
自分のこととして、例えば写真のこととして続けてきたのだろう。
別にそれはみんな同じで、
一方では他所の大人のように、それを辞めてしまっても、何ら不思議なことではない。