日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

A day in the life

休みも最後の日の夕方になると、ソワソワする。

 

やり残した事、思い残しはないか、今日が人生最後の日のごとく、全力を尽くす。

もちろん全部やり切るなんてそんなことは無理なわけだが、そうしたいという気分は歳を重ねるごとに強くなっている。

 

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休みの1日目。

展示作品のプリント発注作業を始めたら不都合が判明し、どう対処するかを考えることになった。その他の用事を片付けながら、対処としての類似のカットの試し焼きを発注し、それに加えて休み3日目の今朝は雨も降らないと予報されてたので、補足の撮影にいつものごとく、夜明け前の午前4時に出かけた。

 

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作品の撮影も補足となると、いくらか限定された状態で望まなければいけない。何故ならこれまで作り上げた構成のその隙間に収まる写真を撮らなければいけないからだ。

で、収まればそれで良いかというと、そういうわけでもなく、その1カットを差し込むことによってイメージが膨らんだということにならないと、作者としては面白く感じられない。

 

写真は自分の意識の中に「外のこと」を受け入れることだと思っているので、設計図を描いてそれ通りに写真を撮るということは僕はしたくない。自意識の中だけでの作業では、写真を撮る意味がないのだ。

ふだん内向的な自分は意識を外に向けて写真を撮ることによって、人としてバランスをとろうと意識している。現実の中で自意識を具現化することが写真の面白さだと僕は感じているのだ。

こういう言い方にはならないかもしれないが、写真を撮る人はみな、そういうとこがあるのじゃないかしらん。

 

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 昨日のうちにどこで撮るべきか、ある程度的を絞っておいて(闇雲では全くの見当はずれになってしまうので)、あとは実際の自分の行動に任せる。

考えに迷っていても、その時になって気がつけば勝手に体は動くのだから、生きているっていうのは面白い。

自分という大船に乗るわけだ。

 

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昨日久しぶりにビートルズの『サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド』を聴いた。この2〜3日、頭の中で『A DAY IN THE LIFE』がなっていた。

そのせいか、今日この文章を書いている間の気分は、アルバム最後の曲の『A DAY IN THE LIFE』という、このタイトルの言葉っぽくなった。