日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

派手を地味に撮る。

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楽しい場所に行って写真を撮りたい、今朝は。

京阪電車に乗って祇園四条から歩きはじめる。

同じ街で何度写真を撮ろうとも、こういう時は気分にまかせて行動する。

コンセプトに縛られると、写真も自分も不自由になるのだ。それも、ほぼ無いに等しいが。

 

曇天の夜明けに四条大橋を渡ると、街の灯りがとても綺麗ね、キョート、キョート、ブルーライト・キョートである。

久しぶりの心地よさを一瞬、味わう。

 

 

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カッコつけてる街は、カッコいいものにあふれている。

撮らなければいけないと思ってしまうものが次から次から現れ、それがこぼれ流れ去ってしまわないように、そして撮り損じないように、急いで撮って廻る。

陽が変わらないうちに、という気持ちがどこかで働いているのだろう。夢中に、必死なのだ。こういう時は楽しい。

良いものが撮れたかどうかは、別の話だけど。

 

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考えてみれば、朝に撮るというのは今に始まった話ではない。

学生の頃から夜明けのトラックや壁の落書きなんかの映像を撮っていた。

今のように街を撮る前はずっと夜明けの山の中で写真を撮っていたし、自覚する前からも、ちょこちょこ朝には撮ってきた。昨日今日の話ではなかった。

 

とってつけた話でなくて安心する。

自分の中から自然に出てきたものが、一番の理由で答えだと思う。

不自然なのはダメ。自分のやりたいことしかできない。エゴしかない。

したがって他人のドキュメントなんて、僕には絶対にできない。

無理に押し通すこともやりたくない。

 

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その後、南へ。

ついでに東本願寺に立ちよりお参り。

ちょっと考える・・・この世の始まりに、意味などは無かった。考えてみれば、自然な話だ。

 

帰りには真夏の日差しが戻っていた。秋はまだ先の話。

濃い影の黒を、モノクロで撮る。

今朝は10,271歩で、230カット撮る。

 

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ぐるぐるー。

 

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