日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

私の日曜日。

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昨日の夜に個展の展示をあらこれ考え出したら、夜明け前に目が覚めても思案が続く。よって夜明けの撮影は、今日もやめにした。

早朝から部屋を明るくして、ロール紙の上に写真を並べて眺める。

今回は京都の街を写真の対象にしているので、作品点数が多くする。展示プランもおおよそ決めてはいたが実際に期限が近づくとジタバタが始まる。きれいにまとまるのが気に食わない。

他人にはわからない欲求が自分の中から絞り出される。可能性が未知数の段階では自分の中でボンヤリしてた欲求も、現実が見え始めると何とかしなければ・・と思うのだ。

 

 

努力して得た秩序が崩れ始めたのか、怖くなる。時代が変わってしまうのか?

今日僕は、ボンヤリと1日を家で過ごした。いくらか作業は進んだが、全く出かけなかった1日は本当に久しぶりだ。目の前のこの時間は力のバランスによって与えられている。

人の人生なんて長くても100年ほど。ならば、もっと人に優しくできないものか。肝心なものを見失った権力など、どうしようもなく、カッコ悪く見える。

いったい、どうすんの?

 

 

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