日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

冴えろ、直感。

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一昨日だったか、勤め先から疲れて帰ってきて、カバンから弁当箱やら作業着やらを出して片付けていると、気づけば頭の中で『ギャートルズ』のオープニングの歌が流れている。

♪ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン・ゴーン・ゴーン・ゴーーーーン♪ってやつ。

くたびれているのに、頭の中ではなんでか ♪ヒネモグラー♪ だ。

どっかから入ってきた言葉だかメロディだかが、しりとりをして数珠つなぎになる、自分の頭の中では、そんなことがよく起こる。

ホント、なんだか判らない。たぶん自分だけではないと思うのだけど。

 

そんなんで昔から僕の頭の中は大変だ。肝心な時に突然湧いてきた記憶に邪魔をされ、今何を話してたかもよく判らなくなることもある。歯止めが効かないのは、多少の老化でもあるのかしら。

瞬間、♪ 今なんて言ったのー、他のこと考えて ♪ という小田和正の声が聴こえてくる。

 

まあ、それは置いといて。

・・・・ところが故・立川談志という人の喋りは、そんな脳内の反応の瞬間・瞬間を巧みに表現してしまうから凄い。気持ちがいいくらいに。

最近、YouTubeで見た談志と石原慎太郎の対談が良かったものだから、その記憶が蘇って、つい書いてしまった。

 

立川談志は、その人の中で動いている心の成り行きを「イリュージョン」という言葉で表した。落語に本当の意味でのライブ性を取り入れることを重視したのだと思う。

つまり古典落語に疑いを持つということをしないと、噺をやってても死んでるみたいで面白くないのだろうと推察する。それは、ジミヘン 的だ。

 

世間では、一見「表現」というものは完成を目指して積み上げたものを披露すると考えがちだけど、そんなことなくて、訓練した後に至っては、最終的に心の動きや直感が、表現されたものの行き先を左右する。

先が判らないが故に、それまで見たことなかったものが「目には見えない像」として立ち現れ、そこに表現することの本当の面白みが存在する。そうなるとたぶん、「イリュージョン」はゴミではないのだ。

 

 

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直感を大事にしていると、故・ロバート・フランク氏も話していたのを以前に読んで、今では自分もそれは意識している。

自分の性格上、石橋を叩いて渡ってしまうのがそれまで常だったけど、そんなのはやめにしようと心掛けている。無難は、結局いいものにはならない。

 

自分がやりたいことをやれば、それでいいのだ。

 

 

upした写真は、昨日午後と今朝撮ったの、合わせて282カットの中からです。

時間がもったいないので、真面目にやってます。

 

 

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