日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

身体が生みだす言葉。

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 現代美術の印象が、大竹伸朗氏によって変わった。 「無目的」に、共感ができるのだ。

 

 無目的かつ無意味・無責任に身体から生み出される「創作」行為。 言葉で表すことが出来ないから、「創作」する。 他にやるべきことなんて見つからない、という人には、もうそれしかない。 

 「写真を撮ることに没頭していたい」と望む50歳を過ぎた我が身にとって大竹氏の言動は、自分でも驚くほど前向きに捉えられた。 今になって「わかった」のである。 理屈ではない。

 

 考えないで撮る写真は、偶然を受け入れるための準備と、止まることのない自らの身体と生理で反射する動作と思考の連続だ。 撮るものなんて何だっていいのだ。 ただし言葉にならない何かを求めていることは、ずっと変わりはない。 それはたぶん「最初」から存在するのだ。 後からとって付けた不自然さで物事は続かない。 その何かを抱えていることが才能だと思う。 社会が認めるかどうかは、あとの問題。 自分を犠牲にして社会に参加しても無理があるんだもの。 辛抱ばかりだけど。 

 

 

 

 


 午前1時過ぎに目が覚めたので、「オードリーのオールナイトニッポン」を聞く。 『春日に学べ!』って、嫌いじゃないね、あたしは。

 

 ラジオを聞きながら頭に『二条城』の画が浮かんだので、午前3時過ぎに出発、南東に下がって行き、丸太町通を西へ、堀川通りを目前にするあたりから撮影を始め、千本通で南へ曲がり、JR二条駅から四条大宮をさらにひとつ南に下がってから東に戻り、四条西洞院でフィニッシュ。   

 

 二条城の石垣が蛇の体みたいにヌメっと写っている。 こういうの、いいね。 

 

 14,695歩を歩き、353カットの写真を撮る。 調子がいい。 撮っている間は、足腰の疲れも気にならない。 帰りのバスに乗ってシートに座ると、まだ座っていたいと思う。